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マニュアル通り中継地点に


“拉致監禁”の連鎖(218)パート10
被害者の体験と目撃現場(4)
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舞さんが1回目に監禁された東京・杉並区にある西荻ユニオンビル

 1990(平成2)年3月に日本大学を卒業した山田舞さんは、学生時代から手伝っていた「ミスターミスユニバーシティビューティペイジェント」という、世界の学生たちが集まるイベントの企画制作事務所に勤め始めた。

 その年の夏のある日。弟に「初給料が入ったら、家族でごはんを食べよう」と誘われた。

 待ち合わせたのは忠犬ハチ公像がある東京・JR渋谷駅前。夕方、出向くと、すでに両親と弟が待っていて、ハチ公像近くから弟の車に乗り込んだ。

 弟が車を持っているのを知らずにいた舞さんが、そのことを問うと、弟は「最近、買ったんだ」と答えた。ふだんと変わらない様子のやりとりに、このあと拉致監禁されることになるなど全く思い浮かばなかった――。

 東急・東横線の中目黒駅あたりのレストランに向かうということだったが、同駅の付近で、おじが車に乗り込んでくると、舞さんの両脇には両親がついた。

 それでも車中にさほどの緊張感もなかった。母親が「おまえの通っている統一教会をいろいろ調べたけれど、ちょっと問題があるところだそうじゃないか、おじさんもおばさんも心配して集まっているのよ」と言ったので、親族会議でも開くのかぐらいに思っていた。いつの間にか、横浜のおばの家に連れて行かれた。

 夕方からの時間をそこで過ごし、夜になった。すると、両親はおもむろに「場所を変えて、話を聞いてほしい人がいる」と話してきた。

 舞さんは、その時になって初めてハッとした。「これが監禁なのか」と、思い当たった。

 両親と弟のほか、横浜在住のおばとその夫に、鹿児島のおじと青森のおばまでが加わり、計5人ほどの親戚が姿を見せた。舞さんは無理やり車に乗せられ、何台かの車に分乗した親戚の人たちに監視されながら、今度は見知らぬマンションに連れて行かれた。多勢に無勢で有無を言わさぬ連行だった。

 あとで考えると、拉致の手順は、荻窪栄光教会の小岩裕一牧師が中心的に担う脱会強要のための組織「ナルド会」が作ったマニュアル通りのものだった。まず、疑いを持たれないよう誘い出し、いったん中継地点のような場所に連れて行く。

 舞さんの場合、横浜のおばの家がこれに当たる。ここで夜になるまで時間を過ごし、心理的にも孤立した状態を作り出し、周りが暗くなってから拉致監禁の目的場所に連れて行かれる。

 舞さんも初め、監禁されたところがどこなのか見当がつかなかった。監禁中、来ていた親戚の人が何気なくつぶやいた言葉の中から、ここがJR西荻窪駅近く(東京・杉並区)であることが分かった(のちにマンション名は「西荻ユニオンビル」と判明)。

 そこは、玄関に台所・リビングのある3LDKのマンションだった。玄関には南京錠が掛けられていた。最初入れられたのは、玄関そばの部屋で窓がなく、一日中光が入らなかった。いるだけでも息苦しくなり、もう一つの部屋に移動した。

 ここは窓に色付きのセロハンが貼ってあり、中から外、外から中の様子が見えないようになっていた。窓は二重ロックで、鍵がないと開かないようになっていた。

(「宗教の自由」取材班)