栄誉と恥辱の人生終え静かに逝った金鍾泌氏


韓国紙セゲイルボ

 金鍾泌(キムジョンピル)元国務総理が死去した。政界では故人が残した光と影に対して、「大韓民国現代史に大きな足跡を残した故人の記憶は史料に等しい価値がある」と評価される。

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握手する韓国の「三金」と呼ばれた3氏。右から金鍾泌、金大中、金泳三の各氏=1989年、ソウル(EPA時事)

 だが、韓国政府が金鍾泌氏に国民勲章無窮花賞を追叙することに対して、賛否の論議が起きている。大統領府の国民請願掲示板には叙勲に反対する書き込みがあふれている。浮沈と栄誉と恥辱が交差した人生であっただけに、綻(ほころ)びのない服のように完璧だったことはない。

 金鍾泌氏は軍事クーデターを踏み台として韓国政治史の一時代を駆け抜けた。鎧袖(がいしゅう)一触で傷ついた者は少なくなかっただろう。金氏が認めないとしても、自身に向かってあふれる批判は全て彼の自業自得でもある。

 日本の植民地時代と光復(解放)後の左右分裂、韓国動乱、軍事政変、経済開発、民主化と、この100年は激動の歴史であった。92年の生涯のうち40年余りをその先頭で荒波を起こしたり、うず巻きの真ん中で揉(も)まれたりもしながら、波風を全身で体験した政治家の人生は他の人々が見るよりはるかに起伏と変化に富んだものだっただろう。

 文在寅大統領は金鍾泌氏を弔問しないことにした。大統領府で、「文大統領は就任以後、弔問に行ったことがない」という説明があったが、行間の意味を察するに難くない。現職大統領が前例と個人の縁を言い訳に弔問を拒んだとすれば、相変らず過去の偏見に閉じ込められた浅はかな政治の現実を表すものだ。

 金鍾泌氏の死去で3金(金泳三、金大中、金鍾泌)時代は終わった。いまや新しい100年を準備しなければならない。功罪をありのまま見ることができず、色眼鏡を外せなければ、韓国は3金時代に留まらざるを得ない。

(金起弘(キムギホン)論説委員、6月26日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。