血涙を流すとは


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 『血の涙』。1906年に、文筆家の李人稙が自ら主幹を務める日刊新聞「萬歳報」に連載した、国内最初の新小説の表題だ。

 清日戦争(日清戦争のこと)の混乱期に両親と別れた少女が、さまざまな困難を克服して近代人に成長する過程を描いている。作中人物の僕マッドギはこういう。「国は両班(貴族)たちが滅ぼし尽くしてくれました。身分の低い者たちは両班が死ねと言えば死に、殴れば殴られ、財物があれば両班に奪われました」。当時、血涙の根っこがどこにあったのか分かる。

 10歳の時に王世子(太子)妃に選ばれたが、長男が夭逝し、夫の思悼世子(サドセジャ)まで義父の英祖王(朝鮮第21代王)の命令であの世に送ることになった恵慶宮洪氏が恨(ハン)多き人生の歴程を回顧した『閑中録』の漢文本の表題は、“血涙の記録”という意味の『泣血録』だ。朝鮮中期の女流詩人、許蘭雪軒は2人の子供を亡くして書いた『哭子』で、「とめどもなく悲しい歌を歌いながら/血涙の慟哭を心の中におしとどめよう」と言った。

 高麗時代の学者、李穀が元の皇帝に奉じた上疏文にはこんな文章がある。「悲痛で憤慨した気持ちから井戸に身を投げて死んだり、首をくくって自決する者も出ており、憂いと心配のあまり失神して倒れる者もいて、血涙を流しすぎて失明までしている。このようなことが数えきれないほどです」。高麗の未婚女性徴発の弊害を指摘したこの文章は、皇帝の心を動かして貢女制度の廃止をもたらした。

 「とても悲しく悔しくて流す涙」という辞典的な意味を持つ血涙とは、こんな時に使われる言葉だ。朴槿恵大統領は弾劾訴追案が可決された9日、国務委員懇談会の席で「血涙を流すという言葉はどんなことかと思っていたが、今その意味が分かった」といって、複雑な心情を吐露したという。多くの国民が怪訝(けげん)そうな反応を見せている。

 野党は「朴大統領が流さなければならない涙は反省の涙」だと言っている。朴大統領は言葉のタイミングをまたもや間違ったようだ。

 血涙は自分に対する弾劾訴追案の可決に対して使う言葉ではない。今は、国民の方が使う言葉だ。

 言葉は人格の深さをあからさまにしてくれる。時と場所、状況に合わせて使ってこそ共感を呼び、力がこもる。とりわけ政治の世界では言葉がすべてのことを左右するということを朴大統領自身がよく知っているはずだ。

 (12月13日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。