国家安保戦略を決定、「積極的平和主義」を評価


 政府は初の「国家安全保障戦略」を決定した。戦略と銘打っているものの当面の対応策的な内容が中心であり、国家戦略とは言い難い。

 だが、1957年策定の「国防の基本方針」に代わるものであり、過去の対米依存一辺倒の安全保障政策からの脱皮の契機としてもらいたい。

リスク伴う行動が必要

 基本理念として「積極的平和主義」を掲げている点は評価できる。従来、我が国は長らく他の主要諸国の血と汗で確保した平和の一方的な受益者だった。国際社会では、富裕な国家が平和維持・確立のためにカネを出すのは当たり前であり、リスクを伴う行動が求められる。

 だが、我が国は憲法を口実にそれを回避してきた。「積極的平和主義」を掲げる限りは、「他国の戦闘行動と一体化しない後方での活動」で済むと考えてはならない。理念に対応して、過去の55年体制下の憲法解釈に関する国会答弁の見直しをしなければ、それは画餅となろう。

 「国防の基本方針」は国家防衛を主任務とする自衛隊が誕生して間もない時期に策定された。このため、内容は国連が国際社会の安全を確保する能力を有するまで、日本の防衛は主として米国に依存し、自衛隊はその補助的役割を果たすと規定している。

 当時の国力を勘案すれば、日本の防衛は米軍が主、自衛隊は従の位置付けがされていたのもやむを得なかった。問題は、その後国力が回復し世界有数の経済大国になったにもかかわらず、全面的対米依存の「国防の基本方針」を変更しなかったところにある。

 その結果、我が国は攻撃能力が著しく劣っている。格闘技だけでなくあらゆるスポーツは、攻撃し点数をとらなければ必ず敗北する。国家間の争い、国際社会の秩序維持活動の場合も同様だ。

 ところが、安保戦略と併せて決まった新たな防衛計画の大綱では、自民党が求めていた「敵基地攻撃能力」の整備に全く言及していない。現在の戦いには、大量破壊兵器が使用される公算が大きく、被害も甚大である。それに歴史上、攻撃兵器と防御兵器はシーソーゲームのように競い合ってきた。ところが、現代は攻撃兵器優位の時代である。

 それゆえ肝要なのは、攻撃を抑止する能力を持つことである。抑止は、攻撃力によって相手に行動を控えさせることである。攻撃力が劣る日本の防衛体制は抑止を生むどころか、逆に侵略を呼び込むことになることを知るべきだ。

 また、新防衛大綱では中国の尖閣諸島(沖縄県石垣市)奪取の企みに対抗し各種の対応策を打ち出している。それは結構なのだが、懸念されるのは奪取された島嶼(とうしょ)の奪還を中心としている点だ。島嶼を占拠されると奪還作戦では多くの犠牲を生む。

尖閣奪われない対策を

 必要なことは、占拠されない対応策である。自国領土を防備することに躊躇(ちゅうちょ)すべきではない。中国の各種の恫喝(どうかつ)的行為に怯(おび)えて尖閣の実効支配を強化してこなかったことが、今日の事態を招いたのである。

(12月18日付社説)