日航機事故30年、再発防止に安全文化構築を


 乗客乗員520人が亡くなった1985年の日航機墜落事故から、あすで30年を迎える。32分間の迷走飛行、墜落・炎上、困難を極めた救出活動など、事故の記憶は今も生々しい。

慰霊の登山欠かさず

 日航は戦後日本の航空業界を牽引(けんいん)し、世界一安全な航空会社とも言われた。さらにジャンボ機を大量導入し、海外旅行の大衆化への道を開き、国内線にも使われた。事故を起こした羽田発大阪行きの日航123便(ボーイング747SR-100型機)はビジネスマンや夏休みの家族連れでほぼ満員だった。

 国民が仕事に行楽に航空機を利用することが一般的になり、その活動範囲を急速に広げつつあった時期に生じただけに、この事故による衝撃は計り知れないものがあった。

 遺族らは毎年、事故現場の群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」を目指して慰霊の登山を行っている。昨年は麓にある「慰霊の園」で、遺族132人を含む229人が参列し、追悼慰霊式とろうそく供養が営まれた。二度と事故を起こさないよう風化させず、安全文化を構築することが必要だ。

 事故原因について、当時の運輸省航空事故調査委員会は、過去の尻もち事故での「後部圧力隔壁の修理ミス」と結論付けた。ミスは米ボーイング社によるもので、日航側が事前の整備で見つけていれば事故は防げたという議論もあった。

 しかし修理は往々にして製造より難しいとも言われ、それがこのケースだった。結局、事故で明らかになったのは、安全運航、事故回避の道が、まず設計・開発の段階で求められるということだ。

 この点、ボーイング社は後に修理ミスを認め、隔壁が破れても客室からの空気が尾翼を破壊しないよう、すべての機体に対策を施したという。しかし事故前には、日航との間にコミュニケーション不足があったことは歴然としている。

 その後、機体が設計・開発される段階から運航会社の意見も反映されるようになったが、今後さらに連携を密にすることが絶対に必要である。

 これは安全運航の要諦(ようてい)とも関係している。機体にトラブルが発生しても、安全性阻害の要因が連鎖するのを断ち切ることができれば、大事故は避けられる確率が高いと言われる。そのためには、航空管制システムの近代化も含め、すべての部門の安全管理の一元化、責任所在の明確化という作業が必須である。

 同事故以降、日本の大手航空会社は死亡事故を起こしていないが、空の安全を脅かすトラブルは頻繁に生じている。従って設計、製造、運航も含め、整備、訓練、救助など航空輸送に携わる全ての部門を結ぶ安全管理のためのネットワーク作りが急務である。

より重要な心身管理

 一方、今日の大きな課題は、運航に関わる人たちの心身の管理である。パイロットだけでなく、整備士、管制官らに対象を広げるべきである。

 彼らはハイテク機器に囲まれて神経をすり減らしているだけに、普段からより人間的な触れ合いが求められる。

(8月11日付社説)