奪われるメモリアル構想、大田知事「蝋人形を作れ」


平和の礎

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実
上原 正稔 (16)

 1991年3月、筆者は具志頭村の上原文一氏、そして屋宜宣純村長と話を詰めた。その時、村長は「このメモリアル建立構想は全県的なものになるので、大田昌秀知事に協力を仰ごうではないか」と言った。それは確かに正論だが、筆者は大田知事ら“反戦平和運動家”の正体を知り、彼らに「1フィート運動」を奪われたこともあり、ためらいがあった。

 大田知事は顔を妙に歪(ゆが)めて、「久しぶりだな」と言った。筆者は早速、要件を切り出し、「知事にもご協力いただきたい」と求めた。


...【全文を読む】
記事の全文をご覧になるには会員登録が必要です。
新規会員登録へ
ログインへ