謙虚に防災学ぶ時が来た


 湿った南風を受けて活発化した前線のために、九州から岐阜にかけて記録的な大雨が続き、深刻な被害が発生した。まだ全容は把握されていないが、テレビ報道によると、瀬戸内海気候のため大雨に慣れていない広島や岡山で一番大きな被害が出ているそうだ。

 実際に、24時間で602㍉とか3日で1000㍉以上とかいう途方もない大雨が降った高知県の死亡者は、比較的少ないようだ。高知の隣県の、毎年のように台風に襲われる田舎町に住んでいた筆者もその辺りの事情は理解できる。

 実家が川を見下ろす場所にあるので、幼い頃はよく窓の隙間から川の水位が増していく様子を見ていた。濁流が堤防を越えない時は、潜水橋(欄干がほとんどないコンクリートの橋)の上で大人が流木を引き上げていたが、濁流が堤防を越えると田んぼも町営住宅も浸水して大変な様子がよく分かった。大きな洪水が起こるのは、家の下の川が注ぎ込む1級河川の吉野川が先に増水して水が逆流して来る時だった。今回、岡山の真備で起こった洪水と同じ理屈によるものだ。

 後に堤防が嵩(かさ)上げされて洪水は少なくなったが、それでも高校の時に直撃した台風はそれまでに経験したことのない大雨を降らせ、堤防が削り取られ死者も1人出た。自然の力の前に人工物が無力になる時があることを思い知らされた。

 台風銀座と呼ばれる鹿児島や高知で被害が比較的少ないのは、経験則に基づいて危険を察知する勘が働くためだろう。しかし今回、台風の通り道ではないが、愛媛県の離島で100年以上も被害を受けたことのない家にいた母子が土砂崩れの犠牲になった。南海大地震が起これば高知も経験則を超えた対応を迫られることになる。地球温暖化の影響かどうかは分からないが、日本のどこにいても防災について謙虚に学ばなければならない時が来たようだ。(武)