進化論の一面的な自然解釈


 平成30年の新しい年が始まった。二十四節気ではまだ、最も寒い時期が始まる小寒(今年は1月5日)を過ぎたところで、春が始まる立春(同2月4日)まで厳寒期が続く。体感的にも春の訪れはまだまだなのに、1月を迎えると不思議と肌を刺すような朝の冷気の中に「新春」を感じてしまう。人の感覚は案外でたらめだ。

 春といえばどんな色を思い浮かべるだろうか。それぞれ暮らした場所の環境にもよるだろうが、筆者の場合はやはり桜の薄いピンクだ。小学校に入学する頃、卒業して中学校に上がる頃、新しい生活の始まりが桜のイメージと重なっているためだろう。

 しかし、春の一番最初を彩るのは実は黄色い花なのだそうだ。お隣の韓国の春は、黄色いレンギョウの小さな花が咲き乱れるところから始まる。日本でも春先に目立つのは黄色い菜の花やタンポポの花だ。

 では、なぜ黄色が先なのか。最近読んでいる『面白くて眠れなくなる植物学』(稲垣栄洋著)によると、まだ気温が低い春先に最初に活動を始める昆虫がアブで、これが黄色い花を好む。花は受粉をして種を残すために、虫を呼び集めて花粉を運ばせるのが役割なので、「春先の花はアブを呼び寄せるために、黄色い色をしている」という。

 アブはミツバチのように頭が良くないので、花の種類を識別せずいろいろな花を飛び回ってしまう困った性質を持っているが、「春先に咲く花は、まとまって咲く性質(群生)」があり、この問題もちゃんと解決しているのだとか。

 このように、春先のアブと黄色い花は絶妙の共生関係にある。しかし本書の説明は、徹底的に利己的に生きる昆虫と植物が織り成す功利的なバランスということに尽きる。進化論による自然解釈だが、自然をそういう一面的な視点でしか見られないことがかえって人間と自然を遠ざけているのではないだろうか。(武)