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信時潔の「海ゆかば」


 神武天皇の「東征」を描いた交声曲「海道東征」は戦後、国家主義的な記憶を刺激するなどの理由で封印されてきた。70年を経て、呪縛が解かれたように復活公演が開かれるようになった。一昨年の大阪のザ・シンフォニーホールでの公演は、追加公演が行われるほど、大盛況だった。

 その時の様子を文芸評論家の新保祐司氏が、ある雑誌のインタビュー記事で語っていたのを読んだことがある。「日本人は精神的呪縛から、ようやく解放された。あのコンサートは『歴史的大事件』だった」。その時、初めて幻の交声曲の存在を知った。

 その1年後の先週、「海道東征」公演が東京芸術劇場で開かれた。本格的な東京公演は初めてとあって、2000席は3階までほぼ満席だった。

 「海道東征」は、昭和の音楽史の礎を築いた作曲家・信時潔と詩人・北原白秋によって、昭和15年、皇紀2600年の奉祝曲として作られた。

 実際に生で聞いてみると、1章「高千穂」の国生みに始まり、章が進むごとに魂が引き上げられ浄化されていくような感覚を覚えた。古語で書かれた詩は確かに難解だが、メロディーが加わると「古事記」を知らない人でも自然にその世界に引き込まれる。

 公演の最後に「海ゆかば」が合奏された。歌詞が流れると、背広姿の男性が総立ちとなった。それを見て「海ゆかば」を知らない世代も、一緒に歌い涙していた。

 戦前は戦意発揚の歌として国民に広く歌われ、「準国歌」と呼ばれた。しかし、そのあまりに澄みわたる美しい旋律に驚かされた。

 信時潔は牧師の息子として育ったクリスチャンだったという。「海ゆかば」は、聖書的な世界と和の精神を併せ持った信時潔という音楽家から生まれた。本物は時代、世代を超えて感銘を与える。(光)