新元号が決まった。この国がこの国であり…


 新元号が決まった。この国がこの国であり続けることが、元号という形で確認された。この日本という国には、幾つかの特徴がある。一つが「敵(国内)に対する寛容」だ。

 「敗者が国家公認の詩集(『万葉集』)のなかで、英雄的人物として称賛される」(『日本史のしくみ』中公文庫)と山崎正和氏が書いている。怨霊を恐れることはあっても、憎悪はしない。

 「敗者」とは大津皇子(686年刑死)のこと。日本史上最強の女帝と言われる持統天皇と対立する中、謀叛(むほん)を理由に処刑された。反逆の事実はなかったと言われる。「ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」(『万葉集』416番)という歌が残っている。

 「池の鴨を見るのもきょうが最後。間もなく自分は死んでいくだろう」という単純だが痛切極まりない歌だ。恨みをのんで死んだ皇子の気持ちが真っすぐ伝わる。享年23。

 信長のような例外もいるが、おおむね日本人は敵に対して優しい。だが、諸外国ではそうでもない。『史記』を読むと、憎むべき敵の遺体を墓から掘り起こし、それに矢を射る、といった記述が目につく。「死者に鞭(むち)打つ」どころではない。

 「日本人が敵に優しい」とは「日本以外は必ずしもそうではない」ということだ。日本の方が例外で「敵に厳しい」のが普通だ。なぜ日本は敵に寛容なのかを探究しつつも、世界と日本との間のギャップを冷静に分析・認識する必要はありそうだ。