歌舞伎は一般に、猛々しい侍が主役の「荒事」…


 歌舞伎は一般に、猛々しい侍が主役の「荒事」と近松の心中物など男女の機微を描いた「和事」の2種類に分けられる。江戸歌舞伎は荒事が中心で、その代表的役者が市川団十郎、上方は和事を得意とし、坂田藤十郎がその代表だ。

 江戸が荒事を、上方が和事を得意とするようになった理由について、亡くなった十二代目団十郎は、関ケ原の戦いで東軍が勝ち西軍が負けたからであると述べている。日露戦争に勝利した後、乃木希典大将らを盛んに讃(たた)えていた日本が、第2次大戦に敗れた後、英雄というものをあまり重視しなくなったことを思い起こせば、想像がつくだろうと言う。

 以上は青山学院大で行った講義を元にした著書「團十郎の歌舞伎案内」(PHP新書)の冒頭に書いてあるが、なるほどと思わされる。「天下を分けた戦いが、東西の人々の考え方や生き方、そして歌舞伎の特色にも大きな影響を及ぼした」のだ。

 江戸に幕府が置かれ、政治の中心になったのに対し、大坂は商都として経済の中心となった。それは終戦後、経済を重視し、ひたすら経済大国への道を歩んできた日本の姿と重なる。

 2025年の大阪万博開催が決まったが、大阪、関西の魅力を世界に発信する大きなチャンスだ。歴史的に育まれてきた、もう一つの日本文化の中心があることを示したい。

 そのためにも、大阪文化の魅力、本質とは何かを掘り下げる必要があるのではないか。いまこそ起これ大阪学。