「街師走何を買つてもむだづかひ」…


 「街師走何を買つてもむだづかひ」(稲畑汀子)。師走になって冬の光があふれる風景を見ると、秋の透明な色とはまったく違った印象を受ける。枯葉が落ちた木々も、寒々として白い光を浴びている。

 それは衰弱していく生命を思わせるものがある。風景全体が年老いていく姿に重なっている。これに対して、秋の光は、紅葉や枯葉の奏でる色彩の華やかなトーンがあるせいか、どこかまだ命の輝きが感じられるのである。

 春夏秋冬の四季を人間の一生に例えれば、冬は生涯の終わりの時期、老齢になるだろうか。しかし、その冬も終わり春になれば、また新しい生命が宿り、一斉にみどりの芽を吹き出し、生命の讃歌を奏でる。冬は終わりであると同時に始まりの序曲でもある。

 「古書肆に寄りて間のある年忘」(高木石子)。そろそろ会社や知人友人らから忘年会の知らせや誘いを受ける頃となった。落葉樹にとっては、一年の終わりに葉をすべて落として冬を過ごすのがイベント。それに当たるのが、人間にはクリスマスや忘年会かもしれない。

 今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」もきょうが最終回。印象深いシーンが思い出される人も少なくないだろう。来年は「軍師官兵衛」で、幕末から一転して戦国時代へと遡(さかのぼ)る。

 軍師は先を見通す目とともに、人間関係に気を配ることが求められる立場。その軍師・黒田官兵衛の成長がどのように演出されるか、今から楽しみである。