項羽を倒して漢帝国の創始者となった劉邦は…


 項羽を倒して漢帝国の創始者となった劉邦は、ある日家臣らに対して「自分はなぜ天下を得たか?」と問い掛けた。家臣らはそれぞれ回答したが劉邦は満足せず、自身で答えた。

 「自分は作戦の才については張良に及ばない。国家の運営に関しては蕭何(しょうか)に及ばない。100万の軍を動かすことにおいては、韓信に及ばない」とした上で、この3人の傑物を使いこなしたことが天下を得た理由だと述べた(『史記』高祖本紀)。

 「一を知りて二を知らず」ということわざがここから生まれたとされる。劉邦政権の幹部になるほどの人材だから、家臣らのそれぞれの回答が間違っているわけではないが、劉邦からすれば、肝心のところは外している。

 「一」はそこそこ分かっているが、「二」が不十分というのが劉邦の論法だ。一知半解で応用が利かないというところか。

 劉邦と同じ意味のことを、韓信が劉邦に対して述べたことがある。「陛下は10万の軍を動かすのがせいぜいのところでしょうが、私はもっとたくさんの兵を動かすことができます」とした上で「陛下は兵に将たることはできませんが、将に将たることができます」と話した。

 韓信ほどの人材を存分に使いこなせる力量が劉邦にあったことを韓信自身が認めた話になっている(『史記』列伝32)。だが、その韓信は、後に謀反の疑いで処刑された。劉邦が名前を挙げた他の2人、張良と蕭何が無事に人生を終えたのとは対照的だ。