博物学者、生物学者、民俗学者として知られた…


 博物学者、生物学者、民俗学者として知られた南方熊楠(1867~1941年)の生誕から今年で150年となる。1867年は大政奉還のあった年だ。その後、明治日本に西欧の自然科学が怒濤(どとう)のごとく流入する中、日本人としての知の営みを意識した科学者だった。

 熊楠に対する評価は、この十数年で著しく高まっている。むろん博覧強記の天才だとは以前から言われていたが、最近になって、ようやくその思想性への理解が深まってきた。その中でも、「粘菌」は今日、最新の研究対象である。

 アメーバ状の単細胞生物である粘菌は、餌のある場所に体を広げ、養分などをやりとりする変形菌の一種。脳や神経は持たないが、知的な行動をすることが分かってきた。

 粘菌の生み出す生命維持のための最適ネットワークは、都市構造や交通インフラの設計、新しい概念のコンピューター開発などにも利用でき、その研究が進んでいる。

 熊楠は、いわゆる「部分と全体」の問題に取り組み、近代西洋科学の単純な因果律では説明できない自然界の事象に関心を持った。粘菌の研究では、その特異な増殖現象に「霊魂の輪廻を見た」(田中聡著『怪物科学者の時代』)という。

 粘菌の生態を「曼荼羅(まんだら)」と名付けるなど、独自のスタイルで生命の本質に肉薄しようとした。その後も、大学からの教授としての招聘(しょうへい)を「時間がない」と断り、独自の宇宙観を見いだすのに心を尽くした。