最近文庫として刊行された岡田睦(ぼく)著…


 最近文庫として刊行された岡田睦(ぼく)著『明日なき身』(講談社文芸文庫)という小説作品集に「ないものはない」という言葉が出てくる。昔から不思議な言葉と言われているのは、これがまるで正反対の二つの意味を持つからだ。

 ①「ないと言っているのだから、全く何もない」②「ない」ということが「ない」のだから「何でもある。全てがある」――。①は「ない」、②は「ある」。共に日本語として正しい。

 この作品集の場合は、表題が示すように①の意味で使われている。とにかく何もない。「明日なき身」だから明日への希望もない。離婚、アパート暮らし、アパートでの失火(自室のみ焼失)、自殺未遂の経験もある。アパートからの強制退去、施設を転々とする生活……。

 単に貧しいので「清貧」などという気取った生活とは無縁だ。800年前の鴨長明『方丈記』にも通じるが、この作品集の世界は一段と厳しい。

 多少のフィクションは含まれていようとも、こうした生活を私小説として書いているのだから、内容の大筋は実際に起こったことだろう。「みじめだ、悲惨だ」といった感慨は全くなく、わが身に起こった呪わしい現実をまるで他人事のように書く。

 この作品集は日本近代文学における私小説の伝統をしっかりと受け継いでいる。なお、作者の消息は2010年以降不明となっている。1932年生まれであることを考えると、生死不明と言ってもおかしくない。