豊臣秀吉が16世紀末に築いた初期の伏見城の…


 豊臣秀吉が16世紀末に築いた初期の伏見城の石垣が京都市伏見区で見つかったと民間の発掘調査団体「関西文化財調査会」が発表した。城内を区画する堀の一部だった可能性が高い。

 伏見城は3度築城されており、今回の発見は最初の城とみられる。秀吉の隠居所として築かれたが、慶長元(1596)年の大地震で倒壊した。残存する部分は南北に14・5㍍、最も高い部分で2・8㍍で、6~7段の石が積まれている。

 ふぞろいの自然石を積み、隙間を小石で埋める手法で造られている。調査会の吉川義彦代表は「初期伏見城の遺構で、これだけの規模の石垣が良好な状態で出たのは初めて。城の全体像を知る手掛かりになる」と話した。

 寒川旭著『秀吉を襲った大地震』(平凡社新書)によると、秀吉の時代は現代に似た「内陸地震の時代」で、大地震が多発した。秀吉の短い天下統治の間に少なくとも2度、秀吉の周辺を襲っている。

 天正13(1586)年、世に言う天正地震が起きた時、秀吉は琵琶湖沿岸で明智光秀の居城だった坂本城にいた。震度5程度の揺れだったが、おびえた天下人は、一目散に大坂城に逃げ帰ったという。

 5年後、秀吉は京都盆地でくだんの隠居所(伏見城)建設に取り掛かっている。その強固な石垣に、天正地震の教訓が相当生きたのでは、などと想像を巡らす。地震災害を克服し、今日の文化を築き上げた我々の祖先たちの苦心を改めて思う。