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長津はなぜ「チョシン」と読まれたのか


韓国紙セゲイルボ

“後方基地”日本の価値も認めよ

 トランプ米大統領は9月30日、統合参謀本部議長の離就任式で、韓国に二度言及した。まず、新任のマーク・ミリー議長が先に在韓米軍の第2師団大隊長として服務した縁を紹介した。続いて、退任するジョセフ・ダンフォード議長が6・25(朝鮮)戦争に参戦した勇士の息子であることに言及した。「彼の父上は海兵隊員だった。とても強靭(きょうじん)な戦士だ。韓国の仁川に上陸し『チョシン湖』でも戦った」と。

文在寅大統領

11月19日に生放送で(韓国は日本の)「防波堤論」を提起した韓国の文在寅大統領。写真は24日、中国・成都で行われた日中韓首脳会議での同氏(時事)

 「チョシン」という地名は聞き慣れない。北朝鮮の咸鏡南道蓋馬高原の南側にある長津湖(チャンジンホ)のことだ。1950年11~12月、零下30度の酷寒の中で米海兵隊と中国共産党軍が2週間死闘を繰り広げたところだ。

 当時、韓国は軍事作戦で使う地図を作る能力がなかった。それで米軍など国連軍はとり急ぎ日帝強制占領期に日本が製作した韓国地図に依存した。長津の日本式発音が「チョウシン」だ。戦闘に参戦した兵士たちの脳裏に、その凄惨(せいさん)な戦場の名前が「チョシン」と刻まれたのはそのためだ。長津で生き残った“選ばれた少数”を指す「チョシン・フュー(Few)」精神は米海兵隊の自負心だ。

 韓国動乱戦史の中に日本の跡は地図だけでない。北侵攻の2日後、韓国空軍操縦士10人が急遽(きゅうきょ)、韓国を発って日本の福岡県板付の米空軍基地に行った。当時、空軍には戦闘機が1機もなかった。日本で“一夜漬け”で戦闘機の操縦術を習った韓国操縦士は1週間後、F-51戦闘機10機を駆って帰国し、すぐさま実戦に臨んだ。仁川上陸作戦に投入された巨大艦隊はどこから来たか。横浜、神戸、佐世保からだった。

 今日、韓半島に非常事態が起きる場合、米軍が韓国に送る増援軍のうち、主力部隊の集結地は日本の沖縄にある。北朝鮮に悪い気配があれば、最初に沖縄米空軍基地から偵察機が飛んでくる。

 文大統領は先月19日、生放送に出演して(韓国は日本の)「防波堤論」を提起した。日本の防衛費は国内総生産(GDP)の1%なのに韓国は2・5%で、「韓国の防波堤のお陰で日本は少ない防衛費で自らの安保を維持している」と主張した。まったく正しい言葉だ。

 しかし、いまや韓国の防波堤論とともに日本も韓国動乱当時からずっと韓国の“後方基地”の役割を果たしてきた点を認めなければならない。巨大な波で防波堤に亀裂ができた時、保守用資材を保管中の倉庫が遠く離れているとすれば、また今の防波堤では防げない津波が近づいた時、近いところに臨時待避所がないとすれば、どうなるだろうか。

 文在寅政府は防波堤としての韓国、そして後方基地としての日本の価値を並んで直視する均衡感覚を失ってはならないだろう。

(キム・テフン特別企画取材チーム長、12月25日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。

ポイント解説

「日本の防衛費少ない」と注文

 文在寅大統領は日本の防衛費が少ないと不満を吐露した。「韓国は国内総生産(GDP)の2・5%なのに日本は1%だ」と。常日頃「日本の軍国主義化」を非難していた同じ口から出てきた言葉だとは信じられない。日本に防衛費の増額を求めているのか、何か根本的に韓国政府の認識が変わったのかと、訝(いぶか)るしかいない。
 そのココロは、北朝鮮などの脅威を真正面で受けている韓国(防波堤)に対して、恩恵を受けている日本は何か見返りをしてもいいのではないか、という都合のいい注文だ。といっても日本の軍事力増強は嫌なので、それ以外の手段、たとえば輸出規制の緩和などをしてくれても罰は当たらないのでは、という理屈である。

 しかし日本は恩恵を受けているだけではない。むしろ、韓国を守る「後方基地」の役割を韓国動乱当時からしてきている。その(韓国防衛への)貢献は無視できる規模ではなく、正当に評価されるべきだ、というのがこの記事の主旨。なかなか勇気のいる指摘だ。少し前だったら「土着倭寇」のそしりを受けかねなかった。やはり、韓国メディアも少し偏りを修正しつつあるのだろうか。

 惜しむらくは「後方基地」だけの評価である点だ。最近、日韓のメディアで報じられた韓国動乱当時「日本特別掃海隊」が投入されていたことには触れていない。元山、仁川、鎮南浦、群山でソ連の機雷除去を極秘裏に行った。身分を示すものを付けないから、万が一捕虜になっても保障はなかった中での作戦だった。韓国が考える以上に日本は貢献している。このことはもっと知られるべきだ。

(岩崎 哲)