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英ユダヤ系兵站の絶頂期


獨協大学教授 佐藤 唯行

荷馬車隊列で大規模輸送
軍事情報でも英軍勝利に貢献

佐藤 唯行

獨協大学教授 佐藤 唯行

 武装して軍務に就く資格を法律により史上長らく奪われてきた欧州ユダヤ人。しかし兵站(へいたん)と呼ばれる軍需品の補給業務は民間の商人、とりわけユダヤ商人に委託されてきたのだ。

 兵站は軍隊組織の中でもユダヤ人が定評ある専門家として認知されてきた特殊な分野だったのだ。必要とされる物資を他国から迅速に調達するための同族ネットワークをユダヤ商人が構築していたからだ。英蘭のような経済的先進国では土着のキリスト教徒商人の中にも兵站を担えるほどのネットワークの持ち主がいたが、敵方による襲撃・略奪など多大なリスクを抱えるこの仕事は敬遠されたのだ。一方、リスクを恐れぬユダヤ人にとっては、兵站は魅力的な出世のチャンスとみなされたのだ。

名誉革命で重要な役割

 後述するソロモン・メディナはユダヤ教徒として英国史上、初のナイト(勲爵士)に叙せられたのだ。本稿では英国における彼らの活躍を紹介しよう。英軍事史上、ユダヤ系兵站が重要な役割を演じるのは名誉革命期からだ。名誉革命とは英王ジェームズ2世の専横に反発した英議会派がオランダ総督ウィレムを招き新英王ウィリアム3世として擁立した王位簒奪(さんだつ)の軍事行動だ。主戦場はアイルランドだった。同地を拠点に先王ジェームズが仏王の援助を受け王座返り咲きを画策したからだ。

 こうして始まったアイルランド遠征において兵站総監に任ぜられたのがユダヤ人アイザック・ペレイラだ。ペレイラは英ブリストルから連れてきた28人のパン焼き職人を指図して現地に多くのパン焼き窯を作らせた。固くて不味(まず)い保存食ビスケットでなく、軟らかいパンを食べたい兵士たちの望みに応えたのだ。ウィリアム3世軍の兵士たちはペレイラの補給隊到着を心待ちにしたそうだ。

 ペレイラの僚友で同じくユダヤ人のアントニオ・マチャードの働きも重要だ。ウィリアム3世の友軍としてフランドル方面に展開中のスペイン軍のために兵站総監を務めたからだ。マチャードによる軍需品補給は仏軍に対するウィリアム3世の軍事的優位を確立する上で重要だったとハーグ駐在英国大使は報告している。

 英ユダヤ系兵站の絶頂期はスペイン継承戦争(1701~14年)だ。主役は前述のソロモン・メディナだ。彼は英主将マールバラ公(首相チャーチルの先祖)の下、兵站総監を務めたのだ。オランダから独バイエルンへ至る欧州戦史上名高い長距離遠征を果たした公に随行し、250台もの荷馬車隊で軍需品を補給し続けたのはメディナにまつわる手柄話だ。彼以前、ラバの背に直接荷を載せて運ぶ方式が主流であったが、メディナは史上初めて大量の荷馬車隊列による大規模長距離輸送を実現したわけだ。欧州兵站史上の一大革新と評価されるゆえんだ。

 また彼は刻々と変化する戦況を把握するために自前の速達便網を整備した。これにより輸送上のリスクを軽減できたのみならず、緊急軍事情報の入手という点で雇い主である英政府より優位に立つことができたのである。後年マールバラ公がメディナに大金を支払い続けた事実が英議会で問題視された時、公はメディナがもたらす軍事情報への謝礼だったと返答している。メディナ情報は戦場での英軍勝利にも貢献したようだ。

補給網構築し食糧運ぶ

 もう一つの主戦場スペインで仏軍と戦う英・ポルトガル連合軍を指揮したのが英ピーターバラ伯。伯が連合軍の兵站責任者に任じたのがユダヤ人ジョゼフ・コルティーゾスだ。輸送手段確保のため彼はまずモロッコへ渡り現地の族長と交渉し、大量の荷車運搬用家畜を購入した。入念な下準備こそ彼の本領なのだ。伯が1705年バルセロナを陥(おと)しスペイン各地に軍を進めると、コルティーゾスはバルセロナに補給本部を置いた。そこを拠点に英軍占領下のモロッコ、ジブラルタル、盟邦ポルトガルを結ぶ補給ネットワークを構築したのだ。この補給路を通じビスケットを配給し続け連合軍を飢えから救ったと政府の報告書の中でも彼の功績が記録されているのだ。

 彼らの活躍を通じ兵站こそユダヤの天職であるという認識は広く知れ渡るようになった。18世紀英文学を代表する作家ダニエル・デフォーも1743年の作品の中で「仲間内での助け合い、信用を守るために最大限の努力を払う仕事ぶりが兵站業務におけるユダヤの地位を高めている」と称賛しているほどだ。

(さとう・ただゆき)