世界日報 Web版

元仏大統領ジスカールデスタン死去


西側結束で冷戦終結に貢献

 フランスのバレリー・ジスカールデスタン元大統領が2日、死去した。94歳だった。1974年から7年間、大統領を務め、主要国首脳会議(サミット)を提唱し、75年にオイルショックの混乱の中、第1回サミットをパリ西郊外のランブイエ城で開催。日本を含む西側先進国の結束を施し、東西冷戦終結に貢献した。

バレリー・ジスカールデスタン元仏大統領(AFP時事)

バレリー・ジスカールデスタン元仏大統領(AFP時事)

 48歳で大統領に就任したジスカールデスタン氏は、マクロン大統領が17年に39歳で大統領に就任するまで、第5共和制では最も若い大統領だった。「フランスのケネディ」と呼ばれ、政治的には保守のドゴール派とは一線を画し、中道勢力を結集し左派を巻き込み、幅広い支持層に支えられた。

 家族の話では、新型コロナウイルスの感染で死去したとされる。1926年、独コブレンツ生まれでエリート養成校の国立行政学院(ENA)卒。56年に国民議会(下院)議員となった。2度、経済・財務相を務めた。頭脳明晰で高齢になっても重要な政治局面で的確な発言を行い、存在感を示した。

 また、欧州統合に尽力したことで知られ、79年に西ドイツ(当時)のシュミット首相とともに欧州の為替安定の枠組みとなる「欧州通貨制度」(EMS)を創設し、単一通貨ユーロ導入の基礎を築いた。02年、「欧州の将来に関する協議会」の議長に推挙され、欧州憲法条約の起草を担う重責も担った。

 欧州統合の中心的存在だったジスカールデスタン氏は、英国のEU離脱が国民投票で決まった直後「性急過ぎた統合で、にわか仕立てが露呈した。もっと時間をかけるべきだった」との声明を出し持論を展開した。第1回サミットに参加した首脳の最後の生き残りだった。

 1981年の大統領選挙で社会党のミッテラン氏に敗れ、再選はならなかったが、常にフランスでは一目を置かれ、スマートな身のこなしで好感を持たれていた。

(パリ 安倍雅信)