南北50キロの巨大環礁、大艦隊の泊地に最適


【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(1)

日本海軍南方の前進拠点 トラック島物語(上)

トラック諸島(チューク諸島)の地図

 日本本土から南に約3千キロ、カロリン群島にその島はあった。太平洋戦争当時、南洋における日本海軍最大の根拠地だったトラック島である。もっとも、俗にトラック、あるいはトラック島と呼ばれたが、サイパン島やグアム島のようにトラックという名の一つの島があったわけではない。全長200キロに及ぶ珊瑚(さんご)礁の鎖でできた東西60キロ、南北50キロの世界最大級のトラック環礁(ラグーン)があり、その内側に大小248の島々が散在している。日本海軍は幾つかの大きな島に軍事拠点を構えていた。それらの島々を総称してトラック島と呼んでいたものである。

 もっとも、現在ではトラックの名称は用いられていない。かつてのトラック諸島は、ヤップ、ポンペイ、コスラエとともにミクロネシア連邦を構成する一つの州になり、チュークと呼ばれている。しかし現地では今もトラック島の名は通用するし、古老は日本語を理解する。パラオと同様に、日本の言葉が今でも使われているような諸島だ。

 戦前、トラックへは、船便を除けば横浜から飛行艇に乗り、サイパン島経由で進出するルートが一般的だった。現在も日本からチュークに飛ぶ直行便はない。グアムまで行き、そこでミクロネシアの島々を結ぶ定期便(アイランドホッパー)に乗り換える必要がある。現地の気候は年間を通して25~30度、雨期乾期の差はほとんどなく、過ごしやすい島だ。南方特有のスコールは毎日のようにあるが、台風は来ない。それはこの付近の海で台風の卵が産まれ、マリアナ方面に北上しながら成長していくからだ。

 日本は、日英同盟に基づき連合国の一員として第1次世界大戦に参戦、戦後、国際連盟から旧ドイツ領南洋諸島の委任統治権を得た。トラックがあるカロリン諸島のほか、マリアナ、パラオ、マーシャルの各諸島が含まれた。戦前の小学国語読本に「トラック島便り」という章があった。珊瑚礁の海を泳ぐ魚の美しさなどを、トラックにいる父から内地の子供に書き送った手紙文の体裁がとられていた。戦前の日本人はこの読本を通してトラック島を知り、遥(はる)か南洋に憧憬(しょうけい)の念を抱いたものである。

水深深く波も穏やか、今も残る大和・武蔵の特大係留ブイ

戦艦大和と武蔵(右)が一緒に写った唯一の写真。後ろは春島(昭和18年5月撮影)

大和、武蔵を係留した特大ブイ(筆者撮影)

 トラックの環礁内に散在する島嶼(とうしょ)は比較的大きな火山島と小さな珊瑚礁島に分かれ、日本は火山島を「春夏秋冬」の名を冠した四季諸島と、水曜、木曜など「曜日」名を冠した七曜島の2群に分け、小さい珊瑚礁島には櫻島や竹島等の植物名を付した。環礁の内側は波穏やかで水深も深く大艦隊の泊地には最適、しかも大型船が珊瑚礁の間を抜けて環礁内に入り込める水道は限られ、敵船の侵入を防ぐことも容易だった。こうした利点ゆえ、日本海軍はトラックを南方攻略の前進拠点として整備していくのである。

 その中心が夏島(デュプロン島)で、第4艦隊や連合艦隊の司令部はじめ多くの部隊が置かれ、巨大な石油タンクも造られた。飛行艇基地もあり、現在も海に伸びた滑走路の一部が残っている。昭和18年4月3日、い号作戦指揮のため連合艦隊司令長官山本五十六がラバウルに向け飛び立ったのもこの夏島の飛行艇基地だった。それから15日後、前線視察の途次ブーゲンビル島で戦死を遂げる。夏島の南にある小さい竹島(エテン島)は、島全体が零戦など飛行隊の基地になった。今ではヤシの木などに覆われ往時を偲(しの)ぶことは難しいが、竹島沖には大空襲で米軍に撃墜されたと思われる零戦が沈んでいる。

 夏島の東に位置する春島(モエン島)にも、一式陸上攻撃機など陸上機の基地(現在のチューク国際空港)や飛行艇基地(現在はブルーラグーンホテルの敷地)、高射砲陣地等多くの施設が点在していた。この春島と夏島の間の海が連合艦隊の主要艦船の泊地とされた。戦艦大和と武蔵が並び投錨(とうびょう)する写真もここで撮られたものだ。昭和18年5月の撮影といわれるが、大和と武蔵が一枚の写真に納まっているのはこの一枚きりだ。近くの海域には大和、武蔵が使った特大の係留ブイが今も残っている。

海底に沈む多数の船・航空機、当時と現在を同期させる場

 しかし、トラック戦跡の代表と言えるのは、海底に沈む多数の船や航空機だ。昭和19年2月の米軍大空襲で犠牲となったものが多い。筆者が海に潜った際、比較的浅い海底に二式大艇や一式陸攻、彩雲、それに零戦の残骸が視認できた。沈船は軍艦が少なく、ほとんどが日本海軍の徴用した民間商船だ。その理由は後で触れるが、その中の一隻である五星丸の残骸は素潜りでも間近に見ることができる。こうした沈船探しを目的に、トラックには欧米から多くのダイバーが訪れるようになった。

 海底に沈む日本軍の航空機や艦船を、米軍の攻撃を受けた当時そのままの状態で直接目にすると、無音の海中に身を浸しているためか、激しい戦闘が行われていたまさにその時、その場に自分が居合わせているかの錯覚に陥ってしまう。地上に残る各地の戦跡を訪ねた際には感じたことのない霊妙な気分だ。トラックの海は、80年近い歳月の隔たりを一瞬にして掻(か)き消し、当時と現在を同期させる場なのである。

(毎月1回掲載)

 戦略史家 東山恭三