世界文化遺産登録1周年

今年7月27日でユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産登録1周年を迎えた北海道・北東北の縄文遺跡群。それを記念したシンポジウムが同月31日、札幌市内で開かれた。世界的に見ても稀有(けう)な縄文遺跡群をいかに次世代に継承し、魅力的な街づくりにつなげるかなどをテーマに幅広い議論が交わされた。(札幌支局・湯朝 肇)
世界的価値認められた意義大きい
啓蒙活動に不可欠な地域住民の理解と参加
「縄文時代は今から1万3000年前から紀元前300年と1万年以上続いた時代。ただ、縄文時代の生活様式は狩猟社会という一言で括(くく)られるような単純なものではなく、高い精神性を有した時代だった」――こう語るのは、北海道環境生活部縄文世界遺産推進室の阿部千春・特別研究員。北海道・北東北の縄文遺跡群を世界文化遺産に登録させる取り組みは今から16年前の2006年にさかのぼる。阿部氏はその実現に向け東奔西走した人物の一人。7月31日の世界遺産登録1周年記念シンポジウムで基調講演の講師として登場した阿部氏は世界遺産の意義と縄文遺跡群の価値に言及した。
「ユネスコの世界遺産登録は人類が協力しながら世界の自然・文化遺産を守り、世界平和の実現を目指そうというもの。北海道・北東北の縄文遺跡群は北東北3県と北海道にまたがる遺跡群となっているが、中でも北海道は内浦湾に面した遺跡群が多い。そこからは漆塗りや新潟産などのヒスイで作られた装飾品、接着剤としてのアスファルトが出土。また、北海道第1号の国宝となった函館市の畑から発見された中空土偶は、背中の部分が厚さ2ミリで作成に高い技術を持ち、幅広い交流・交易があったことが分かる」と阿部氏が説明。縄文遺跡群の文化的価値が世界的に認められた意義は大きいと指摘する。
今回のシンポジウムは、単に登録1周年を記念したシンポジウムというよりも、これらの遺跡群を今後、どのように活用し次世代に継承していくか、さらに観光を含めて地域の街づくりにつなげていくかが、パネルディスカッションのテーマとなった。
パネリストも北海道のみならず道内、国外から参加している。04年に世界文化遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」からは海外の観光客誘致を積極的に展開する田辺市熊野ツーリズムビューロープロモーションのブラッド・トウル事業部長、11年に登録された「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡群」からは岩手大学平泉文化研究センターの八重樫忠郎客員教授、さらに05年に世界自然遺産となった「知床」からは斜里町地域プロジェクト・マネージャーの初海淳氏ら5人が参加。すでに世界遺産に登録され、その地域で長年、街づくりに取り組む専門家の話を聞くことで、北海道・北東北の縄文遺跡群の在り方を模索・議論していった。
この中で八重樫氏は登録から11年たつ世界遺産「平泉」の普及啓蒙(けいもう)活動を紹介。新型コロナウイルスの感染拡大の影響があるとはいえ、現在でも年間100万人近い観光客を集めている平泉だが、「世界遺産になったからといって観光客が集まるものではない。やはり、そこに住む地域住民が平泉という場所に誇りを持ってもらうことが重要だ。平泉の自然や歴史・文化を知識として知っていただくことが第一。そうした勉強会やセミナーに住民が参加することも大事なこと」(八重樫氏)と強調。平泉町では現在、中学生の授業課題の一つとして同町のパンフレット作りがあり、修学旅行で上京した際には、手作りのパンフレットを都民に配るという。
一方、世界自然遺産となっている知床の地域ブランド力を高めるプロジェクトに携わる初海氏は縄文遺跡の価値について、「世界遺産に登録されたということは、世界が認めるだけの価値を有しているというお墨付きを頂いたということ。従って、地域のブランド力を高めるタネは、世界遺産に認められるに至った理由や背景にあると思うので、そこを掘り起こしていくことが重要だと思う。何よりも地域の人たちが縄文遺跡の魅力を知り、地域と共に育てていくことが街づくり、人づくりにつながっていく」と語る。
世界文化遺産に登録された縄文遺跡群の中で、北海道には関連遺産を含めて6カ所の遺跡がある。これらの世界遺産にさらに磨きをかけ、“真の宝物”にすることができるかどうかは、地域住民の意識と今後の活動に懸かっているといえよう。