皇室の最新記事

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陛下と広島5万の市民 すべてを語り、感激の涙 ~広島編2~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

 昭和20年8月6日午前8時15分、広島県広島市上空に青白いせん光が走った。米軍のB29が落とした5トンの原子爆弾1個は、市内の約60%、約44平方キロを廃虚とし、人口31万2千人中、死者および行方不明約20万人を出すに至った。

励まし受けた原爆僧 ご巡幸が復興の大きな力に ~広島編1~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

 朝倉義脩(ぎしゅう)師(旧姓増田修三)、49歳。現在真言大谷派山陽教務所所長として、姫路を拠点に広島との間を月に何度も往復し、信徒の教化活動に忙しい。

下関の引き揚げ者 「お言葉」で苦労忘れ ~山口編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

 昭和22年、外地から9の引き揚げ者は実に74万3757人を数えた。下関市上田中町に住む前原正義氏(当時40歳)も、この年に中国の大連から引き揚げて来た一人である。戦時中は、大連に設置された州庁の警察部事務(衛生局)に勤めていた。

農業に励む戦争未亡人 「強く明るく子供のために」 ~島根編2~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

 安来節で有名な安来市から、南へ8キロ、鳥取県との県境に近い能義郡は山間部の水田地帯である。その安田に住む長谷川キミ子さん(当時22歳)は、昭和14年11月、中国へ出征する夫の誠氏を鳥取県の米子駅で見送った。19歳で結婚してから、わずか3年目の初冬の日のことである。誠氏は、汽車の窓から腰半分以上のり出しながら、年若い妻を見つめた。

陛下のお目もうるまれて 島根の老農夫と若者たち ~島根編1~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

 斐川町はその名の通り、斐伊川のほとりの湿地帯として知られている。斐伊川は古称を簸(ひの)川といい、ヤマタノオロチの伝説にゆかりのある川で平地よりも高い所を流れているため、古来から伝統的に高畦(うね)作業が行われた。その作業を陛下にごらんに入れてから、約40年が過ぎた。

孤児たち「ばんざい、ばんざい」 鳥取の養護施設で ~鳥取編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

 社会福祉法人鳥取こども学園(砂川晋治園長)の児童指導員の藤野興一氏(43)は、子供時代の思い出を語りながら、ポツリとつぶやいた。

陛下、旅館に初のご宿泊 斎藤茂吉らとなごやかにご歓談 ~山形編3~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

山形県上山市にある村尾旅館は、天皇陛下が初めてご利用になった民間の旅館である。二代目女将(おかみ)、村尾京子さん(72)は、昔ながらのいろりのある帳場で記者に語り始めた。

国民の総意は「ご留位」 〝退位〟めぐる論争 ~山形編2~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

ご巡幸は順調にいけば、昭和23年に終わるはずだった。だが、22年12月の岡山ご巡幸後、中止となる。社会党政権の誕生とそれ以後の政局不安、GHQ内の天皇制廃止派といわれるGS(民政局)の優勢、そのため当時の松平宮内府長官、大金侍従長などが辞職したことが原因に挙げられる。そして、この期間は敗戦直後に続いて、天皇退位論が国内外で一つのピークを迎えたときでもあった。

「昭和」の地で人生を開拓 開墾地の移住者たち ~山形編1~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

この日、陛下は飽海郡荒瀬指導農場、酒田市、大泉村、松ケ岡開墾地などを視察されたが、上田村役場2階でのこ昼食中、女子青年団350人が路上で県民歌「最上川」を奉唱申しあげると、陛下は窓辺までお立ちになり優しくほほえまれるという場面も見られた。

最後の空襲から復旧 秋田製油所、大きな励みに ~秋田編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

東京・杉並区井草の自宅で守屋専助氏(84)は、記者の前にバラの花をあしらったベージュ色のアルバムを差し出した。扉のページをあけると、「昭和二十二年八月十三日」と記されてある。天皇陛下が、秋田市土崎港町の日本石油秋田製油所を視察された際の記念写真集である。

満州の苦労乗り越えて 秋田の引き揚げ家族 ~青森、秋田編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

天皇陛下は昭和22年8月10日午後、岩手県から青森県三戸郡舘村にお着きになった。県下の優良馬22頭をご覧になったあと、同村の農家、田村太蔵氏の家にお入りになり、人と馬との一緒の生活を興味深くご視察。

機関士、使命感に燃え 岩手をゆくお召し列車 ~岩手編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

その年、7月の水害に見舞われた東北は、農作、木工、交通などさまざまな方面に被害を受けた。「水害で一段と食糧事情も悪化し、なお献上の品々なども被害のため予定のごとくいかず、万事お旅情を慰め申すのに十分ではあるまい」――純朴な県民は陛下に対し、どれだけ遺憾に思っているか知れない、と『新岩手日報』は当時の県民の心情を伝えている。

ほとばしる国歌「君が代」―宮城・みくに奉仕団 ~宮城編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

昭和20年5月25日、皇居の宮殿が焼失した。宮城は、美術・史跡保護のため、米軍の爆撃除外リストに含まれていたため一発も投弾されなかった。しかし5月25日夜の空襲で、皇居周辺の永田町、霞が関一帯は〝火の海〟と化し、それが皇居内へ飛び火したのである。

炎熱40度の坑内へ・地下450層―福島県・常磐炭田 ~福島編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

昭和22年8月。本格的な暑さは、ピークに達しようとしていた。宮内庁が関西に続いて行幸先と予定していた東北地方は7月、福島を除いて大水害に見舞われ、橋や道路などが破損した。

とどろく「君が代」の大合唱 富山、5万人の赤誠 ~富山編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

東に立山連峰を望む富山市布市(ぬのいち)は、有数の豪雪地帯である。軽く1メートルを越える雪が降る。記者が傷痍(しょうい)軍人の辻義直氏(69、当時)を訪ねたとき、「運が良かった、数日前までは大雪だった」と辻氏は語った。もう一つ幸運なことに、この季節雪などで、めったに姿を現さない立山が青空を背景に屹立(きつりつ)する姿を見ることができた。

「万歳で迎えるは国民の真心ぞ」 石川の農業功労者に ~石川編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

加賀百万石の旧城下町で知られる金沢の街から、国鉄七尾線で約2時間、日本海に面した和倉温泉は、能登半島最大の温泉地として有名である。約1200年前に開湯したともいわれ、古くから知られている。

「日本で一番偉え人やなあ」 雨しぶく北陸路へ ~福井編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

福井平野をうるおす九頭竜(くずりゅう)川は、岐阜県境の油坂(あぶらさか)峠付近に源を発し、坂井郡三国町で日本海に注いでいる。全長110キロ。九頭竜という名は「崩れ川」の転訛(てんか)したもの、と『大日本地名辞書』は記している。「崩れ川」の名の通り、九頭竜川はその昔ひと雨降るとたちまち氾濫した。それを治水した立役者として、1400年前の継体天皇の名が今に伝えられている。

陛下ご巡幸の地を取材して ~プロローグ~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

昭和20年8月15日。約300万人に及ぶ尊い犠牲を払った大東亜戦争終結の日、わが日本民族は初めての敗戦を味わった。焦土と化した国土。疲弊と飢え、筆舌に尽くし難い虚脱感に襲われずに済んだ国民は、だれ一人としていなかった。

歴史の町、飯能市【上昇気流】

埼玉県飯能市の大通り商店街は、江戸時代に六斎市と呼ばれる定期市が開かれた所。月に6回開催されたのでこの名がある。土蔵など歴史的建造物が幾つも残っていて、昔ながらの日本を感じさせる。

6・25と日本学術会議【上昇気流】

きょうは何の日? 6月25日をネットで検索すると「加須市うどんの日」「住宅デー」「詰め替えの日」など実に平和な日である。が、1950年のこの日、朝鮮戦争が勃発し6・25動乱と呼ばれた。それで日本学術会議を思い浮かべた。

沖縄戦犠牲者を追悼 慰霊の日 首相、平和への誓い新たに

沖縄県は23日、第2次世界大戦末期に国内最大の地上戦となった沖縄戦から80年の節目となる「慰霊の日」を迎え、糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式を行った。石破茂首相、衆参両院議長、最高裁判所長官をはじめ、玉城デニー知事や遺族らが参列し、正午の時報に合わせ1分間の黙祷(もくとう)を捧(ささ)げ、20万人を超える犠牲者の冥福を祈った。また宮内庁によると、天皇皇后両陛下と愛子内親王殿下、上皇陛下御夫妻も、東京で黙祷を捧げられた。

『歴史のダイヤグラム〈3号車〉』 原武史著 「あのとき」へのタイムトラベル  【書評】

何となく、そばに置いておきたい本、である。本書に収録されている81編のショート・エッセーは、3㌻弱で、しかも8×5㌢の関係写真付きである。全体が、第1章「時刻表から読み直す、あの事件」、第2章「皇族も政治家も、みんな鉄道を使っていた」、第3章「作家が愛した線路」、第4章「あの日の駅弁、思い出の車輛」、第5章「旅情の記憶」となっている。

豆記者と皇室の絆【美ら風】

先日、天皇皇后両陛下と愛子内親王殿下が、戦後80年を迎える沖縄を訪問された際、かつて「豆記者」として活動した学生たちと再会された。

『アジア系アメリカを知るための53章』李里花編著歴史的背景と現在を描く【書評】

アメリカ合衆国の「アジア系」の人口は、現在、2400万人であり、総人口の約7・2%を占める。その最大国は中国系であり、19世紀半ばのゴールドラッシュに労働移民として大量入国する。

皇室の沖縄への深い思い【上昇気流】

「思はざる病にかゝり沖縄のたびをやめけるくちおしきかな」――。平成31年、小紙と朝日新聞がスクープした昭和天皇の未発表の御製(ぎょせい)である。

長嶋茂雄氏逝く あなたは時代の精神だった【社説】

プロ野球巨人軍の選手、監督として輝かしい業績を残した「ミスタープロ野球」長嶋茂雄氏が亡くなった。寂しさの中で出てくるのは「長嶋さん、ありがとう」の言葉である。

釈迦のインドに恩返し 法華宗真清浄寺住職 吉田日光師に聞く【持論時論】

東京都新宿区の神楽坂駅近くにある法華宗真門流真清浄寺の吉田日光(にちこう)住職は、宗祖日蓮聖人が国難に当たり「立正安国論」を鎌倉幕府に上奏したように、「衆生済度こそわが天命」と覚悟して得度したという。その社会実践の一つがインドの教育支援。釈迦(しゃか)が悟りを開いたとされるブッダガヤに別院を開き、さらに学校に通えない子供たちのための小学校を開いている。エネルギッシュな活動の一端を聞いた。

捏造された中国史【上昇気流】

比較思想の分野を開拓した仏教学者、中村元の代表作に『東洋人の思惟方法』がある。仏教の受容形態を手掛かりにインド人、チベット人、中国人、日本人の思惟方法の特質を描き出している。

男系男子による皇統の断絶につながる読売の女系容認は危険な提言

読売の「象徴天皇制 皇統の存続最優先に考えたい」と題する「女系天皇容認」提言(5月15日付)には保守層だけでなく多くの国民から批判の声が上がっている。産経が出版する月刊『正論』(7月号)は「読売新聞は0点だ」と題する特集を組んでいるが、朝日の「女系天皇」論はどうだろう。こちらは5月28日付に「皇室制度のあり方 女性・女系 将来の道閉ざさずに」との特大社説(通常2本掲載を1本)を掲げた。この採点を筆者に委ねられれば、ずばり「マイナス点だ」と言わせてもらおう。それも巨大マイナス点だ。

花と巨岩・巨木の宝庫「七座山」 秋田県能代市二ツ井、自然と歴史織り成す

明治天皇ゆかりの恋文(こいぶみ)の聖地・きみまち阪県立自然公園(秋田県能代市二ツ井(ふたつい))の向かいに「七座山(ななくらやま)」は横たわっている。その魅力の一つは、標高287メートルの低山でありながら、春は色とりどりの花々、秋は全山が紅葉する自然の豊かさであり、巨石と巨木が次々と現れ、権現様(ごんげんさま)などの信仰の山でもある。もう一つの側面は、江戸時代の幹線道路だった羽州街道が山の傍(かたわ)らを通っていたこと。人々は大河である米代(よねしろ)川を舟で渡った。吉田松陰、伊能忠敬、幸田露伴など歴史に名を刻む人々がその傍らを歩いて行った。歴史のロマンが漂う。

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