赫き群青の最新記事

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【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(18) ガダルカナルの死闘(上) 補給支援考えぬ無謀な進出作戦

昭和17年初め、日本海軍は占領した南方地帯の安全確保のため、ニューギニアからソロモン諸島、さらにフィジー・サモアを攻略し(FS作戦)、この東西の線で米豪を遮断し米軍の西進を阻止しようと考えた。4月にニューギニアのポートモレスビー攻略(MO)作戦が発動され、5月3日、横浜航空隊はソロモン諸島南端ガダルカナル島沖の小島ツラギとその属島タブツ、タナンボコ両島を強襲、豪軍を制圧し水上機基地を開設する。ポートモレスビー攻略に際し、ソロモン方面から珊瑚(さんご)海に飛来する米軍機の偵察、哨戒が任務であった。

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(17) 敗退の予兆(下)「マレー沖」の英雄、陸攻隊壊滅す

真珠湾攻撃で多くの戦艦を失った米海軍も、年が明けた昭和17年初めには空母機動部隊を編成し対日反攻に動きだす。機動部隊はソロモン、マーシャル方面の日本軍島嶼(とうしょ)基地を相次いで強襲、2月20日には、ブラウン中将が指揮する第1任務部隊(空母レキシントン基幹)がニューブリテン島東方海域にまで進出し、ラバウルの空襲を企図した。ラバウルは1月23日に陸軍の南海支隊が占領し、日本軍が基地を設営したばかりであった。

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(16) 敗退の予兆(中) 対日反攻の早さ読み誤る 米軍の戦闘意欲の高さも侮る

さらに3月に入るとハルゼー部隊は南鳥島を空襲、また第1、17任務部隊の艦載機約60機がニューギニアのラエ、サラモアに停泊する日本の輸送船11隻などを撃沈破した。そして4月にはドウリットル中佐が日本本土空襲を敢行し、軍首脳や国民に衝撃を与えた。

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(15)敗退の予兆(上) 活かされなかったウェーキの戦訓 飛行場建設や要塞化能力が戦局左右

これまで太平洋戦争初戦において赫赫(かくかく)たる武勲を挙げながら、悲劇的な最期を遂げた南雲(なぐも)忠一と山下奉文(ともゆき)という二人の軍人の軌跡を辿(たど)ってきた。だが二人の共通点はそれに留(とど)まらない。軍最高首脳との関わりが彼らの人生や後世の評価を左右した点も似ている。最高首脳とは、南雲にあっては山本五十六、山下は東條英機だ。

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(14) マレーの虎・山下奉文(下)複雑な心性持った悲劇の将軍 新日本建設へ三つの遺言

牡丹江で対ソ戦に備える山下奉文(ともゆき)は陸軍大将に昇任、そして敗色濃い昭和19年9月下旬、フィリピンの第14方面軍司令官を命じられる。東條内閣は既に瓦解(がかい)しており、梅津美治郎参謀総長の計らいで宮中に参内、天皇への拝謁も認められ二・二六事件以来の心の闇も晴れた。久々に家族団欒(だんらん)の時も持てた。開戦後、山下が内地の土を踏むのは、これが最初で最後となった。

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(13) マレーの虎・山下奉文(中)二・二六事件で昭和天皇の顰蹙買う

昭和17年7月、山下奉文(ともゆき)は新設される第1方面軍司令官に転補の命を受け秘(ひそ)かにシンガポールを離れ、ソ満国境に近い牡丹江に赴いた。防諜(ぼうちょう)を名目に発令は伏せられ、内地への立ち寄りも、マレー作戦に関する天皇への軍状奏上も許されなかった。今や国家的英雄となった彼が何故、凱旋の機も与えられず満蒙の奥地に送り出されたのか。

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(12) マレーの虎・山下奉文(上) 英支配終わらせたシンガポール陥落食料・弾薬 尽きた弱み見せず降伏迫る

毎年12月8日が近づくと、メディアは真珠湾攻撃ばかりを取り上げるが、南雲機動部隊がハワイに接近しつつあった頃、陸軍将兵を乗せた大輸送船団は南に向かっていた。石油をはじめとする天然資源確保を目的に、陸軍は宣戦布告と同時に東南アジアの列強植民地を制圧する南方作戦を立案、フィリピン(本間正晴中将指揮の第14軍)、タイ・ビルマ(飯田祥二郎中将指揮の第15軍)、蘭印(今村均中将指揮の第16軍)、そして英国が支配するマレー半島の攻略は、山下奉文(ともゆき)中将率いる第25軍が担当した。

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(11) 南雲愚将論再考(下) ミッドウェイ作戦自体に問題 海軍の威信守るため着せられた汚名

南雲忠一中将が批判されるのは、ミッドウェイ海戦で索敵を怠り米空母発見が遅れた上、攻撃隊発進に時間を要し戦機を見誤った点である。いずれも参謀の源田実、草鹿龍之介の具申に従った措置だが、ミッドウェイ島攻撃は米空母を誘い出すための手段で、空母撃滅こそ主目的であるにもかかわらず、南雲らが島の攻略に気を取られ過ぎたことが敗因と解釈されている。

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(10) 南雲愚将論再考(上) 幕僚統帥に浸った昭和の海軍 草鹿参謀長が作戦ミスを責任転嫁

空母艦載機による真珠湾空襲という専門外の航空作戦の責任者を命じられ、南雲忠一中将はその重責に苦しんでいた。ハワイに向け機動部隊が千島の単冠(ヒトカップ)湾を出撃する段になっても、「えらいことを引き受けてしまった。僕がもっと強く出てキッパリ断ればよかった。上手(うま)くいくかね」と草鹿龍之介参謀長に不安な心情を吐露している。

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(9) うやむやにされたミッドウェイ敗北の責任

南雲機動部隊が攻撃機の目標をミッドウェイ島から敵空母に転じ、一度陸用爆弾に代えた兵装を再び魚雷に戻す転換作業の最中、直上に突如現れた米艦載機の急降下爆撃を受け、瞬時にして加賀、蒼龍(そうりゅう)、赤城の空母3隻は大火災に陥った。

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(8) ミッドウェイの大敗 インド洋・珊瑚海の戦訓生かされず 索敵能力の強化、敵機への警戒など

南方資源地帯制圧後の戦略について、陸軍参謀本部は戦線を拡大させず南方支配を固めての長期持久態勢を目指したが、海軍軍令部は米軍の反攻を阻むため米豪遮断を、また連合艦隊司令長官山本五十六は米海軍に立ち直りの時間を与えぬためさらなる積極攻撃の実施を主張し、意思の統一は難航した。結局、「長期不敗の政戦態勢を整へつつ、機を見て積極的の方策を講ず」(「今後取るべき戦争指導の大綱)と玉虫色の作文で陸海の主張を併存させたが、海軍内部では山本の強引さに再び軍令部が折れ、ミッドウェイ作戦の実施が決まった。

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(7) 真珠湾攻撃と南雲忠一(下)適切だった追撃見送りの判断 天候悪化、敵空母の所在も不明

真珠湾攻撃において機動部隊は、戦果拡大を目指し、さらに第3次攻撃隊を編成し、ドックや石油タンクなどの米軍地上施設を破壊すべきではなかったか、の議論がある。これを支持する論者は、ハワイ近海から急ぎ避退した南雲の采配を臆病で退嬰(たいえい)的だったと批判する。

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(5) 孤高の海軍大将・井上成美(下)初の空母同士の海上決戦、諦 めが早いと批判集中 珊瑚海海戦で追撃断念、「実戦では無能」の烙印

昭和17年5月、ポートモレスビー上陸を目指し、陸軍部隊を乗せた攻略部隊がラバウルを出港するや、動きを察知した米軍は攻略部隊襲撃のため空母ヨークタウン、レキシントンからなる機動部隊を珊瑚(さんご)海に送り込んだ。これに対し空母「翔鶴」「瑞鶴」を基幹とする井上成美(しげよし)麾下(きか)の第5航空戦隊(原忠一少将指揮)は、米機動部隊殲滅(せんめつ)を期しソロモン群島から珊瑚海へ南下、ここに史上初となる空母対空母の海上決戦が展開された。

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(4) 孤高の海軍大将 井上成美(上) 三国同盟反対、上層部を公然批判し第4艦隊長官に“左遷” 艦隊決戦を否定、航空戦力の強化を主張

トラック島の春島には、日本が委任統治していた南洋群島を防備区域とする第4艦隊司令部が置かれていた。日米開戦直前の昭和16年8月、その司令長官に井上成美(しげよし)少将が親補(しんぽ)された。井上は海軍省軍務局長として、米内光政海軍大臣、山本五十六海軍次官とともに日独伊三国同盟締結や日米開戦に強く反対した。

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(3) 南方の前進拠点 トラック島物語(下) 大空襲で輸送船団が沈没、孤立した島を襲う飢餓

ミッドウェー海戦(昭和17年6月)を境に、戦局は悪化の一途を辿(たど)った。原爆開発を進めるマンハッタン計画の軍事政策委員会は翌年5月、原爆投下の候補地にトラック島を挙げた。目標となる艦船が多く、万一爆弾が不発の際も水深が深いため回収困難で機密漏洩(ろうえい)の危険が小さいからといわれるが、選定理由は果たしてそれだけだったろうか。

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(2) 南方の前進拠点 トラック島物語(中) 米との決戦海域を東に移す、根拠地となったトラック島

トラック島が日本海軍最大の前進拠点となったのは、日本海軍の対米戦構想と深く関わっていた。日露戦争の勝利から程ない明治40年4月、元帥・山縣有朋主導の下に「帝国国防方針」が策定され、わが国の仮想敵国の第一には陸軍が想定するロシアが、次いで海軍が想定するアメリカが挙げられた。

【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(1) 南方の前進拠点 トラック島物語(上) 南北50キロの巨大環礁、大艦隊の泊地に最適

日本本土から南に約3千キロ、カロリン群島にその島はあった。太平洋戦争当時、南洋における日本海軍最大の根拠地だったトラック島である。もっとも、俗にトラック、あるいはトラック島と呼ばれたが、サイパン島やグアム島のようにトラックという名の一つの島があったわけではない。

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