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復刻 昭和天皇巡幸の最新記事

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陛下のお目もうるまれて 島根の老農夫と若者たち ~島根編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

 斐川町はその名の通り、斐伊川のほとりの湿地帯として知られている。斐伊川は古称を簸(ひの)川といい、ヤマタノオロチの伝説にゆかりのある川で平地よりも高い所を流れているため、古来から伝統的に高畦(うね)作業が行われた。その作業を陛下にごらんに入れてから、約40年が過ぎた。

孤児たち「ばんざい、ばんざい」 鳥取の養護施設で ~鳥取編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

 社会福祉法人鳥取こども学園(砂川晋治園長)の児童指導員の藤野興一氏(43)は、子供時代の思い出を語りながら、ポツリとつぶやいた。

陛下、旅館に初のご宿泊 斎藤茂吉らとなごやかにご歓談 ~山形編3~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

山形県上山市にある村尾旅館は、天皇陛下が初めてご利用になった民間の旅館である。二代目女将(おかみ)、村尾京子さん(72)は、昔ながらのいろりのある帳場で記者に語り始めた。

国民の総意は「ご留位」 〝退位〟めぐる論争 ~山形編2~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

ご巡幸は順調にいけば、昭和23年に終わるはずだった。だが、22年12月の岡山ご巡幸後、中止となる。社会党政権の誕生とそれ以後の政局不安、GHQ内の天皇制廃止派といわれるGS(民政局)の優勢、そのため当時の松平宮内府長官、大金侍従長などが辞職したことが原因に挙げられる。そして、この期間は敗戦直後に続いて、天皇退位論が国内外で一つのピークを迎えたときでもあった。

「昭和」の地で人生を開拓 開墾地の移住者たち ~山形編1~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

この日、陛下は飽海郡荒瀬指導農場、酒田市、大泉村、松ケ岡開墾地などを視察されたが、上田村役場2階でのこ昼食中、女子青年団350人が路上で県民歌「最上川」を奉唱申しあげると、陛下は窓辺までお立ちになり優しくほほえまれるという場面も見られた。

最後の空襲から復旧 秋田製油所、大きな励みに ~秋田編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

東京・杉並区井草の自宅で守屋専助氏(84)は、記者の前にバラの花をあしらったベージュ色のアルバムを差し出した。扉のページをあけると、「昭和二十二年八月十三日」と記されてある。天皇陛下が、秋田市土崎港町の日本石油秋田製油所を視察された際の記念写真集である。

満州の苦労乗り越えて 秋田の引き揚げ家族 ~青森、秋田編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

天皇陛下は昭和22年8月10日午後、岩手県から青森県三戸郡舘村にお着きになった。県下の優良馬22頭をご覧になったあと、同村の農家、田村太蔵氏の家にお入りになり、人と馬との一緒の生活を興味深くご視察。

機関士、使命感に燃え 岩手をゆくお召し列車 ~岩手編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

その年、7月の水害に見舞われた東北は、農作、木工、交通などさまざまな方面に被害を受けた。「水害で一段と食糧事情も悪化し、なお献上の品々なども被害のため予定のごとくいかず、万事お旅情を慰め申すのに十分ではあるまい」――純朴な県民は陛下に対し、どれだけ遺憾に思っているか知れない、と『新岩手日報』は当時の県民の心情を伝えている。

ほとばしる国歌「君が代」―宮城・みくに奉仕団 ~宮城編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

昭和20年5月25日、皇居の宮殿が焼失した。宮城は、美術・史跡保護のため、米軍の爆撃除外リストに含まれていたため一発も投弾されなかった。しかし5月25日夜の空襲で、皇居周辺の永田町、霞が関一帯は〝火の海〟と化し、それが皇居内へ飛び火したのである。

炎熱40度の坑内へ・地下450層―福島県・常磐炭田 ~福島編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

昭和22年8月。本格的な暑さは、ピークに達しようとしていた。宮内庁が関西に続いて行幸先と予定していた東北地方は7月、福島を除いて大水害に見舞われ、橋や道路などが破損した。

とどろく「君が代」の大合唱 富山、5万人の赤誠 ~富山編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

東に立山連峰を望む富山市布市(ぬのいち)は、有数の豪雪地帯である。軽く1メートルを越える雪が降る。記者が傷痍(しょうい)軍人の辻義直氏(69、当時)を訪ねたとき、「運が良かった、数日前までは大雪だった」と辻氏は語った。もう一つ幸運なことに、この季節雪などで、めったに姿を現さない立山が青空を背景に屹立(きつりつ)する姿を見ることができた。

「万歳で迎えるは国民の真心ぞ」 石川の農業功労者に ~石川編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

加賀百万石の旧城下町で知られる金沢の街から、国鉄七尾線で約2時間、日本海に面した和倉温泉は、能登半島最大の温泉地として有名である。約1200年前に開湯したともいわれ、古くから知られている。

「日本で一番偉え人やなあ」 雨しぶく北陸路へ ~福井編~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

福井平野をうるおす九頭竜(くずりゅう)川は、岐阜県境の油坂(あぶらさか)峠付近に源を発し、坂井郡三国町で日本海に注いでいる。全長110キロ。九頭竜という名は「崩れ川」の転訛(てんか)したもの、と『大日本地名辞書』は記している。「崩れ川」の名の通り、九頭竜川はその昔ひと雨降るとたちまち氾濫した。それを治水した立役者として、1400年前の継体天皇の名が今に伝えられている。

陛下ご巡幸の地を取材して ~プロローグ~ 【復刻 昭和天皇巡幸】

昭和20年8月15日。約300万人に及ぶ尊い犠牲を払った大東亜戦争終結の日、わが日本民族は初めての敗戦を味わった。焦土と化した国土。疲弊と飢え、筆舌に尽くし難い虚脱感に襲われずに済んだ国民は、だれ一人としていなかった。

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