
沖縄のシーサーは獅子をかたどった陶製などの大小さまざまな置物です。那覇空港のロビーでは大きなシーサーがお出迎え。沖縄県内では家々の屋根や門などでシーサーがたくさん見られます。シーサーのルーツや込められた思い、そしてシーサーを広めようと活動している人を取材しました。
▽種類は三つ
王国歴史博物館(南城市)によると、シーサーの種類は主に「宮獅子」「村獅子」「家獅子」の三つ。宮獅子は、琉球王国の王様のお墓に置かれ権力の強さを表現するためのもの。村獅子は、村の入り口などに置かれ、火よけの意味合いが強いとされます。現在は家獅子が多く、魔よけの意味を持つ守り神としての存在です。よく見られるシーサーは、この家獅子が元になっているとされます。
▽最古は13世紀?

シーサーの起源は、古代オリエント地域のライオン像とされ、13~15世紀の間にシルクロードを経由して沖縄に入ってきたという説が有力です。沖縄最古については、沖縄県浦添市にある王様のお墓「浦添ようどれ」の中にある獅子の彫刻という説があり、13世紀ごろに作られたようです。
原材料は時代によって変わってきました。今でこそ、専用の材料などを使っていますが、昔は屋根を作るときに余った瓦の破片などで作られていました。本来のシーサーは、建築材料の余り物が利用されていたというわけです。
▽焼けた赤瓦で

そんな歴史を持つシーサーを、より人々に広めようと奮闘している人がいます。沖縄シーサー協会の宮城光男さんは、普段はシーサーを製作しながら、教室を開いて子供たちに作り方を教えています。
現在、力を入れているのが高さ10メートルのシーサー作り。2019年に火災で焼けてしまった首里城の赤い瓦を材料に使い、市民らと合同で作る計画も進行中とのことです。
「沖縄の空を行き来する人たちにも上から見てもらえたら」と、那覇空港を発着する飛行機から分かるように、那覇市の隣にある豊見城市での建設に向け、同市と話を進めています。
県内外の人に知らせたいという普及活動はほかにも行われています。原材料や意味が変わっても、シーサーは沖縄の象徴として人々を守る存在であり続けるでしょう。
(時事)
首里城 沖縄県那覇市にある歴史的な城で、14世紀末ごろに建てられた琉球王国を象徴する建造物。首里城は王国の中心地として存在していたが、何度か燃えたり、戦争で破壊されたりした。1992年に復元されたものの、2019年に火災で大部分が焼失。現在、復元作業中だ。特徴的な赤瓦は、諸説あるが、かつて薪(まき)を節約しようと低い温度で焼いたため生まれたものだという。今回の火災後には、割れた赤瓦の使い道を公募、さまざまな所で生かされている。