今に伝わる津波防災の物語 和歌山県広川町
祭りで命の大切さ訴える
和歌山県広川町で2024年10月19日の夜、約500人の人々がたいまつを片手に、海岸近くの役場から高台の神社・広八幡宮に向かいました。これは1854年、安政南海地震の際に地元の有力者の浜口梧陵が、イネの束を積み上げた貴重な稲むらに火を放ち、それを目印に高台の神社に人々を導き、津波から救ったという実話に基づいています。命の大切さを訴えるために、毎年行われている「稲むらの火祭り」です。
▽訓練兼ねた祭り
火祭りは避難訓練も兼ね、多くの子どもたちや県外の人、外国人も参加。クライマックスでは、「津波が来るぞ。稲むらに火を付けろ」という声を合図に、炎が舞い上がりました。
地震が多い日本。24年の元日には石川県の能登半島で最大震度7を記録する地震が起きました。8月には、「南海トラフ地震」発生の可能性が高まったとして、気象庁が初めて「南海トラフ地震臨時情報」を発表。地震への備えを呼びかけ、一部の店で水や防災用品などが不足する事態になりました。
▽南海トラフに警戒
南海トラフ地震は、静岡県の駿河湾から宮崎県沖の日向灘に達する海底のくぼ地(トラフ)で発生する巨大地震で、100~150年周期で起き、津波を起こします。
前回は、1944年の昭和東南海地震と46年の昭和南海地震です。約80年たち、次の地震がいつ起きてもおかしくないと政府は警戒しています。
▽復興が大事
梧陵と稲むらの物語には続きがあります。梧陵は自分の財産で、流された橋を架け替え、漁師には船を貸し、農家に農具を渡し、仮設住宅を造り、生活を助けました。
さらに、津波から地域を守る広村堤防を建設。工事は3年10カ月かかり、被災した人たちに仕事をあたえることにもなりました。広村堤防は高さ4・5㍍、幅20㍍、長さ652㍍もの規模。昭和南海地震では町の主要な部分を守りました。
南海トラフ地震への警戒を強める広川町には、物語を伝える教育施設「稲むらの火の館」があります。同館の崎山光一館長は「浜口梧陵は、命を助けただけでなく、復興まで考えてくれた。それが170年たった今でも、地元で語り継がれている理由だと思う」と、復興の重要性を強調しました。
1年前の能登半島地震で被災した地域の復興はまだ進んでいません。地震が多い日本に住むみんなが、自分のこととして関心を持つことが重要です。
(時事)