東京・豊洲 デフリンピック開催1年前イベント

聴覚に障害を抱えた運動選手「デフアスリート」たちが参加するスポーツの祭典「デフリンピック」(国際ろう者スポーツ委員会主催)が来年11月15~26日の12日間、日本で開かれる。同大会の開催は日本では初めてで、しかも100周年という記念すべき大会だ。同大会の1年前となる11月15、16両日には、東京・豊洲で「東京2025デフリンピック1YearToGo!」(東京都主催)が行われ、選手たちの決意表明やメダルデザインの発表など、大会への意識啓発と魅力を伝える場となった。(石井孝秀)
来年11月、日本初が100周年大会
「デフ」とは英語で「耳が聞こえない」という意味。デフアスリートたちは会場や試合中で補聴器の装着は禁止され、全員が公平に「聞こえない」状態で参加する。参加資格は、補聴器のない状態で聞こえる一番小さな音が55デシベル以上で、これは普通の声の大きさだと会話が聞こえない状態だという。
デフリンピックの第1回は1924年にフランス・パリで実施された。歴史はパラリンピックよりも古いが、日本での認知度はパラより低いのが現状だ。しかし、日本勢の前回大会でのメダル数は30個(金12、銀8、銅10)で、金メダルの獲得数は過去最多。来年11月の「デフリンピック」では日本人選手たちのさらなる活躍が期待されている。
大会への機運を盛り上げるため、イベント会場となったお台場のショッピングセンター広場にはさまざまなブースが並び、手話教室やデフリンピック競技の解説などが行われていた。パネルで各競技の魅力について説明され、大学生ボランティア団体の女性スタッフは「珍しい競技としては、森の中でチェックポイントを巡るオリエンテーリングが採用されて、見どころの一つだ」と話した。
デフ陸上のスタート方法を体験できるコーナーも用意され、興味を持った来場者たちが列をつくった。デフ陸上ではピストルではなく、選手たちの足元に置かれたランプの色の変化でスタートしており、実際に体験した人々からは「色が変わる瞬間にスタートダッシュを切るのは、慣れないとなかなか難しい」という感想が聞こえてきた。
15日に開かれた開会セレモニーには大会出場予定のデフアスリートたちのほか、行政関係者や芸能人などが駆け付けた。スポーツ庁の室伏広治長官は「デフアスリートが躍動する姿を、子供たちを含めた多くの人々が観戦する機会になった」と強調した上で、「障害の有無にかかわらず、お互いを認め尊重し合える共生社会の実現」につなげたいとあいさつ。昨年10月、大会PRを目的とした応援アンバサダーに任命された女優の長濱ねるさんは「知らない魅力がたくさんある。1年後に間近で見られる機会があるのはとても貴重。この機会に私たちと盛り上げてほしい」と呼び掛けた。
また、全国8万人超の小中高校生の投票で決定した、アスリートたちに授与されるメダルデザインも発表。日本らしさを表現しつつ、アスリートたちが誇りを感じられるものとして、三つのデザイン案から選ばれたのは、表に折り紙の鶴が描かれたメダル。「みんなで羽ばたく」がコンセプトで、選手の活躍と大きく羽ばたいてほしいという願いが込められている。セレモニーに出席したデフ卓球の亀澤理穂選手は「日本らしいデザインですごくきれい。たくさん取れるように頑張りたい」と笑顔を見せた。
このほか、声援も拍手も届かない選手たちへ応援を届けられるよう、聴覚障害者を中心としたメンバーがデフアスリートと共に考案した「サインエール」も紹介。日本の手話をベースに全身を使って選手たちへメッセージを送るというもので、セレモニーでは「頑張れ」「メダルをつかみ取れ」などのサインエールが披露された。
セレモニー終了後には、デフ水泳の茨隆太郎選手を講師に招き、小学生たちへのデフリンピックに関する公開特別授業が行われた。過去4大会連続出場し、前回大会では金メダル四つ、銀メダル三つを獲得した茨選手は、小学生たちからの質疑応答にも回答。「どうやって不安を乗り越えているのか」という質問に対しては「コーチの言ったことで分からないところがあれば、分からないままにせず、コーチやほかの選手にしっかり聞いて確認する。そういったコミュニケーションが結果的に競技力の向上につながる」と見解を述べた。
また、茨選手は「デフ大会を通じて何を伝えたいか」と問われると、「デフアスリートだけでなく、聞こえる人と共に作り上げていくもの。耳の聞こえない人とどうコミュニケーションを取り、どうすれば分かってもらえるのか、多くの人に知ってもらえる機会になればいい」と願いを込めた。