余震や大雪続き幼い子にもストレス
元日の夕刻、能登半島を最大震度7の地震が襲って1カ月余が過ぎた。災害からの復旧は始まったばかりだ。地震の揺れ、火災で傷ついた住宅は大雪にも襲われた。近所の空き地や広場は災害廃棄物置き場になり子供の遊び場はない。避難所や復興住宅は狭く、思いっ切り走り回る場所がない。“興奮状態”にある子供たちのストレスは大人の想像を超えるものがある。(太田和宏)
狭い避難所、遊び場なく
PTSD防止に見守り不可欠
震度7、死者238人(災害関連死15人)、安否不明者19人、重軽傷者1015人となっている。今もなお水道が通じない地域も多く1万4600人余(1月31日現在)が避難、復興もままならない状態が続いている。この現実を子供たちはどのように捉えているのだろうか。恐ろしかった震度7の揺れ、瓦礫(がれき)となった家屋、家族や知人友人の死傷。子供たちが、この先の人生で背負っていくには、あまりにも重い出来事だ。
興奮状態にある子供たちは何も気にしていないような雰囲気を醸している。だが、夜になると、地震の大きな揺れ、電気がつかなかった真っ暗な夜を思い出し、母親に抱きつくという。また、トイレに行くことを怖がったり、イライラが募って不機嫌になったり、朝起きて、おなかが痛いと訴えたりする子供が多くいるようだ。
東日本大震災でも支援活動に当たった臨床心理士は、この時期の子供たちの心理的なストレスについて、「子供たちは体力がある分、ストレスを自覚しにくいところがある。ストレスを解消するには、子供たちがいつも通り遊べる時間と場所を確保することが一番有効だ」と指摘する。
被災した石川県七尾市の能登島では、市の指定避難所になっている「能登島地区コミュニティセンター」の敷地内にある「伝承の館」を子供たちの遊び場として朝9時から午後5時まで開放している。子供たちが集まって遊べる場所づくりは各地で少しずつ始まっている。小学生をはじめ幼児ら30人余が集まり、保護者や保育士、中学生や高校生などの地域のボランティアによって見守られている。
保護者や保育士の中にも被災している人が多く、“遊び場”を運営していくのは大変だ。狭い所に大人数が肩を寄せ合う避難所に子供たちが大声を出したり、走り回ったりして遊ぶ場所はない。子育て世代の保護者も「おとなしくしていなさい」「走り回らないで」と子供をなだめ、周りの避難者に気を使っている姿はあちこちの避難所で見られる。
遊び場を失い、ストレスを抱える子供たちにとって、大声を出したり笑ったり、動き回れる「伝承の館」は癒やしの場になっている。保護者、保育士、ボランティアの中高生らに見守られながら、工作をしたり、ボードゲームをしたりしている。「見て、見て、キーホルダーできたよ」とか木の枝や松ぼっくりで人形を作り「できたー!」と明るい子供の声が聞こえる。
ここでも、ちょっと心配な光景が見られる。見守る保護者に、くっついて離れない。甘えて“赤ちゃん返り”する子供たちもいる。スキンシップを求め、安心して楽しく遊べる時間と場所を欲しがっている行動だ。
また、保護者の間で気がかりなことが“地震ごっこ”だ。電子ピアノで緊急地震速報の音をまねて「避難しろ」と叫んだり、段ボールなどで作った家をグラグラ揺すって「地震だ!」と叫んだり、保護者としてはどう捉えていいのか、一方的に遊びをやめさせることが良いのか、悩むところだ。
子供たちの心のケアで心配されるのがPTSD(心的外傷後ストレス障害)。厚生労働省によると、PTSDとは、命の危険を感じたり、自分ではどうしようもない圧倒的な強い力に支配されたりといった、強い恐怖感を伴う経験をした人に起きやすい症状。その怖かった経験の記憶が心の傷(トラウマ)として残り、過敏になったり、ぐっすり眠れないなどさまざまな症状を引き起こしてしまう。数年、あるいは、数十年たって急に表れるケースも少なくない。
命に関する恐怖だけでなく、心の問題も含めた苦痛、怒り、悲しみ、無力感など、さまざまな感情が交錯して症状となって表れる。親や学校の先生が症状に気付けばよいのだが、家の再建や生活をどう取り戻すか、目の前の復興に追われ、震災後、子供たちに手を差し伸べる余裕がない場合が多い。親や先生だけでなく、近所のおじさん、おばさん、避難所のスタッフなど、症状に気付いてあげ、打ち解けて話すことが大事だ。また、症状の重い場合はカウンセラーに相談したり、専門医に診察してもらったりすることも必要になってくる。