文科省初等中等教育局 飯塚秀彦・教科調査官

東京学芸大学で「道徳教育の未来」セミナー
現役教師、教員を目指す学生、教育関係者向けに「次世代につなぐ道徳教育の新たな展開」をテーマに「道徳教育の未来」セミナー(東京学芸大学道徳教育研究会主催)がこのほど同大学の講義室およびWeb会議ツールZoomを使って開かれた。文部科学省初等中等教育局の飯塚秀彦教科調査官が「中学校の道徳教育に期待したいこと」と題して語った。以下は講演要旨。
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生徒の考えが深まるような授業を
学習指導要領に書かれている道徳教育の目標を端的に言うと、小学校で「自己の生き方を考える」、中学校で「人間としての生き方を考える」、高校で「人間としての在り方、生き方を考える」となっている。ここでは、中学校で学ぶ道徳について考える。
中学校の道徳科の教師が、教壇に立つ時、「人間としての生き方の考えを深める」ということについて、どこまで意識しているのだろうか。「人間としての生き方」とは何なのだろうか。そういったところを中学校で押さえておく必要がある。

ネット社会で「チャットGPT」という対話型のAI(人工知能)が関心を持たれている。いろんな質問をすると、まずまず妥当な回答を自然な日本語でも行えるシステムだ。人工知能の発達が著しく、多くの仕事、情報処理をさせている。論文を書いたり、基礎情報を与えて、新聞の記事を書かせることも、可能な時代になっている。先進国の医師、公認会計士、弁護士などの試験に合格できるレベルにあるという。
これからの子供たちは、音声認識でAIに質問し対話しながら育っていく。創作や仕事でも使いこなす時代になっていく。そんな社会を受け入れながら、批判的にも見るような視点が必要だと「チャットGPT」がアドバイスしてきていると聞く。大学の教員もリポートを採点する時、奇麗で平均以上のまとめ方ができている論文はAIによる作文の可能性が高いと指摘している。
逆にいうと、間違い、崩れ、下手さ、というものが人間の著作の指標になってきている。人間の心情や人間性に寄り添うということはAIにはできないことで、そういったところが人間の仕事になっていく。いかに、より良く生きるかということにある、道徳はこのことに「直接関わるものである」が、非常に難しいことである。人生において、最大の関心事は何になっているだろうか。
筆まめで、毎日の出来事を日記につづり、世界一インクを使った人、ともいわれるキルケゴール(1813~55年、デンマーク)によると「私にとって真理であるような真理を発見し、私がそれのために生き死ぬことを願うような真理を見いだすことが重要なのだ、いわゆる客観的な真理を探し出したところで、それが私に何の役に立つだろう」と語っている。
学習指導要領解説の中に、「発達の段階を考慮し、人間としての弱さを認めながら、それを乗り越えて、より良く生きようとすることの良さについて、教師が生徒と共に考える姿勢を大切にすること」とある。自分の長所や短所を理解し、長所や強みをさらに伸ばし、たくましさや、素晴らしさがあることも理解できるようになる。特定の価値観を教え込むのではなく、教師が生徒と共に人間の弱さを見詰め合い、考え合った上で、夢や希望など共に語り合うような姿勢を持つことが大切になる。
生徒が多様な感じ方や考え方に接する中で、自分の考えを基に話し合ったり、討論したり、書いたりするなどの言語活動を充実すること。その際、さまざまな価値観について多面的・多角的な視点から振り返って考える機会を設け、生徒が多様な見方や考え方に接しながら、さらに新しい見方や考え方を生み出していくことができるよう留意することが必要になる。そして、生徒と生徒および自分自身との対話(内面も含め)が深まるよう、表現する活動の内容や場面の工夫が必要である。
大阪の中学校を訪問した時、生徒たちに「道徳の授業、楽しい?」と尋ねたら「楽しい」という。リップサービスかと思ったが、どこがと重ねて問うと「面倒くさいけれど、考えること」「考えることは面白い」という答えだった。道徳科は答えが一つに定まらないものを考え、追究する教科だ。
反対に「何がつまらない?」と尋ねると「先生の話が長い、いつも、同じことばかり」という反応だった。討論や文字化することが目標ではないが、生徒たちの考えが深まるかどうか、に授業が成功したかどうかが懸かっている。先生が生徒の発言に対して「問い返し」「切り返し」を行うことが大事になってくる。一朝一夕にできるような、簡単なことではないが、生徒同士が問い返し、切り返しをできる環境がつくられればよいと思う。積極的に取り組んでもらいたい。
(写真と図は同セミナーのZoom画像から)