トップ社会【寄稿】東京西バプテスト教会牧師 黒瀬 博(上)「月刊Hanada」6月号山尾志桜里氏への反論 法令に民法含むは短絡的

【寄稿】東京西バプテスト教会牧師 黒瀬 博(上)「月刊Hanada」6月号山尾志桜里氏への反論 法令に民法含むは短絡的

家庭連合の解散 高裁決定

黒瀬 博(くろせ・ひろし) 1951年、広島県生まれ。75年、早稲田大学法学研究科法哲学修士課程修了。78年、東京神学大学卒業。79年、西南学院大学神学部専攻科卒業。84年、チューリッヒ・バプテストセミナリー卒業。現在、東京西バプテスト教会牧師。主な著書に、『新しいキリスト教の展開』(グッドタイム出版)。
黒瀬 博(くろせ・ひろし) 1951年、広島県生まれ。75年、早稲田大学法学研究科法哲学修士課程修了。78年、東京神学大学卒業。79年、西南学院大学神学部専攻科卒業。84年、チューリッヒ・バプテストセミナリー卒業。現在、東京西バプテスト教会牧師。主な著書に、『新しいキリスト教の展開』(グッドタイム出版)。

 世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)に対する宗教法人解散命令について3月4日、東京高等裁判所が同地方裁判所の解散命令を維持する決定を行い、清算人が教団の資産・財産を差し押さえて清算手続きを進めている。この件について「月刊Hanada」2026年6月号に載った弁護士・元衆議院議員の山尾志桜里氏と文藝評論家・一般社団法人日本平和学研究所理事長の小川榮太郎氏との対談「激突大闘論シリーズ4 旧統一教会解散 何が裁かれたのか」で、山尾氏が述べていることに多大な違和感があるのでまとめておく(山尾氏についての論点以外にも幾つか述べたいので、それも含める)。

 まず、第一の論点は、同誌44ページ「山尾…宗教法人法において解散命令の規定が設けられたのは昭和二十六年です。立法当時、政府はこの『法令』という文言(もんごん)を、法律および命令を含むと広い概念として捉(とら)えていました。…もし刑法違反に限定するのであれば、条文上そう明記するはずです。あえて『法令』と書いている以上、法律と命令全体を含める、つまり刑法に限らず民法も入ると読むのが自然です」などと指摘をしているが、家庭連合への解散命令以前から「法令」の解釈で民法を含めるという理解が一般的であったかどうかという点だ。

月刊Hanada6月号
月刊Hanada6月号

 山尾氏は「法令」という宗教法人法の表現に民法も入るのだから解散命令の根拠に民法が含まれるのは当然であるとしている。これは誤解を招く説明だ。

 宗教法人法は約70年前に制定された法律であり、その時使われた「法令」という単語に民法が含まれるのは当然のことだが、政令も条例も含む非常に広い意味を持つ単語なのだ。それにもかかわらず、その後の歴史において、宗教法人法の解散命令の根拠に民法が含まれるという解釈が一度もされていないのはなぜなのか、その理由を山尾氏は調べようともしていない。

 宗教法人法が作られた経緯は、宗教団体に法人格を与えるためだった。このため、解散命令(81条)は「第9章補足」の中で規定されていることからも分かるように宗教法人法の主要目的ではなかった。

 ではなぜ解散命令が規定されたのかというと、宗教法人の中に活動を休止した団体があり、そのような実体のない宗教法人を解散させることを主に念頭に置いたもので、それゆえ「法令」という極めて広い概念を持つ単語を解散の根拠としたのではないか。

 しかし、これを活動している宗教法人にむやみに適用してはならないので、「著しく」とか「明らかに」という厳しい条件を付けて、解散命令に歯止めをかけたのだ。

宗教法人に対する法令違反を理由とする解散命令があったのは、1996年のオウム真理教に対する解散命令が最初だった。この命令は宗教法人法の予想していた解散命令とは次元の異なるもので、果たして宗教法人法程度で対処できるのかは問われるべきだったと思うが、ほかに方法がなかったのだろう。

 破壊活動防止法の適用も検討されたが、結果的に宗教法人法による解散となり、最高裁はこれを信教の自由に違反するものではないという裁定を下している。

その後においても民法上の違反に対して解散命令が発令されたことはなかった。「法令違反」という規定からするなら、多くの解散命令があってもよかったはずだが、実際には1件もなかったのはなぜだったのだろうか。

 また、多くの法令解釈者たちが解散命令の根拠として民法上の不法行為は入らないと解釈してきたのはなぜなのか。それらを無視して、ただ「法令」という単語だけを取り上げて、旧統一教会に対してだけ民法も含まれると主張するのはあまりに短絡的ではないか。

「証拠」ではない自発的献金

 第二に山尾氏は解散命令による家庭連合関係者たちの被害についてまったく考慮していない。山尾氏は「被害者の人生もある」(同誌46ページ)と述べ、被害総額が相当な額になると指摘しているが、すでに解決している示談金まで含めるという論法はいかがなものだろうか。さらに、その被害者の「退職金や生活資金、子どもの教育資金といった生活の基盤そのものが差し出されているケースが多々ある」(同)と指摘しているが、解散命令により解雇される家庭連合職員、および関係者の生活が成り立たなくなる現実をどう考えているのだろうか。まるで家庭連合が刑法上の罪を犯したかのような刑罰が下されている。こういう不公平な決定をまったく批判しないで、一方的に被害者側の事情だけを強調するのはあまりにもバランスを欠いていると言わざるを得ない。

 第三に、山尾氏は家庭連合が「二〇〇九年のコンプライアンス宣言後も献金額が大きく変わっていない」(同誌47ページ)ことを教団が反省していないことの証拠としているが、これはまったくおかしな議論である。霊感商法で集めた資金が教団の会計に入れられたのかどうか私は知らないが、教団が公表している額は普通の信徒が自発的に献金したものの合計だ。それがコンプライアンス宣言の前と後でだいたい同じなのは当たり前のことなのだ。それを「強引に献金を集めている証拠である」とするのはあまりにも乱暴ではないか。

 むしろ、コンプライアンス宣言後に訴訟事案は激減していることを見ると、被害を訴える信徒がほとんどいないことは非常に明白だ。その事実があるにもかかわらず、献金総額を議論の材料とするのは説得力がないだけでなく、まったく不当なことである。

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