
九州ご巡幸は23日間にわたる長期間の前例にないご旅行、180余にのぼる数多くのご視察個所という強行日程のなかで行われた。その日程も陛下のご都合でお取りやめになったことは一度もなく、ご休養に充てた3日間も、1日はお取りやめ、その他も事情ご聴取などに費やされた。大分合同新聞の是永記者は、「健康という点で新聞記者の目から見た場合、九州に入って大分県に来るまでに記者もカメラマンもみんなのびてしまっている。ところが、陛下ご自身楽なご旅行をされたかというと絶対にそうじゃない。あれだけ気苦労されて、二十何日間の旅行をあのような健康と態度で続けられるというのは余程の精神力と健康、そういう点で驚くべきものがある。常人にはまねができない」と証言している。
昭和24年6月7日正午過ぎ、お召し列車は県境の宗太郎トンネルを通過、午後1時29分、細雨にけむる佐伯駅に到着した。九州ご巡幸最後のコースである大分県ご巡幸である。
7日夜、大分県別府市のご泊所日名子旅館で鈴木行幸主務官は陛下のご健康について語った。
「長いご旅行で国民がいろいろと心配されているようであるが、陛下は熱誠をもって迎えてくれる国民の顔を見れば疲れは全くなくなると言われている」

8日朝9時、陛下のあずき色のお召し車は、流川から海岸電車通り、東別府をはずれて両郡橋を通る。その道路は見渡す限り「日の丸」で埋めつくされた。
小百合愛児園に到着された陛下は、玄関右側の応接室で、園長のソラリ・カルメラ女史から同園の沿革をお聞きになられた。遊戯室では、園児たちが日の丸の小旗を持ってお迎えした。園児たちは元気よく「天皇をお迎えする歌」を歌った。
光の中につつまれて
にっこり笑って立っている
あの子もこの子もだれもかも
天皇陛下のお出ましを
足ふみしながら待っている
新しい国日本の子供はみんな朗らかだ
(以下略。作詞・西田ミチ子修道尼、作曲・マルテル師)
陛下は、頭を振って拍子をとられたが、「新しい国日本の子供はみんな朗らかだ」のところでは、「そうだ、そうだ」とうなずくように大きく頭を振られた。
陛下はこの歌がお気に召し、日名子旅館に帰られてから、「あの歌の作詞作曲はだれだろう」と侍従に聞かれ、翌日その歌詞と曲譜をお取り寄せになられたという。
歌がすむと園児たちは「万歳、万歳」と言いながら、陛下の方に寄りすがって来た。陛下は、目をしばたたかれて何か言いたげなご様子だったが、侍従にうながされて立ち去られた。
当時小百合愛児園で、陛下をお迎えしたシスター、マリア・ピエトロ・ベティさん(72)は、懐かしそうに当時を語る。
《非常にお優しい方で、恵まれない仕事をやっている私たちに対して優しいおまなざしで見守ってくださいました。また優しいお父さまのように子供一人ひとり顔をご覧になられました。聖堂では、敬虔(けいけん)深く立っておられたお姿が印象的でした。なにか宗教的な雰囲気をもっていらっしゃって・・・・》
翌9日は、中津市、日田市などをご巡幸。特に中津市では福沢諭吉翁の旧宅などをご覧になられた。また日田市は、約1900年前に景行天皇をお迎えして以来、天皇ご巡幸が全くなかったので、市郡民あげての大歓迎となった。これを記念して、『天皇陛下日田行幸記』も発行された。
大分最後の夜、日田市の三隈川では鵜飼いをご覧になられ、九州ご巡幸最後の幕を閉じられた。川岸では、名残りを惜しむようにいつまでも提灯行列が灯の波となって長く続いていた。
ご巡幸4日間で大分県の奉迎者数は推計71万人、1世帯当たり2.8人となる。「このような人出は本県の歴史始まって以来かつてなかった」と『天皇陛下大分県行幸録』は記している。
今回の九州ご巡幸に対して、随行した外国人記者団の目にはどのように映っただろうか。
ナナ通信特派員、レイ・ホーク氏「大人にとって陛下が敬愛の的であることは知っていたが、子供からも大変好かれ尊敬されている。子供たちの振る旗は決して強制されたものではなかった。天皇は日本一の人気者である」
シカゴ・デーリー・ニュース社、カイズ・ビーチ氏「天皇は非常にグレートだ。常に偉大で、しかも今日なお最大の影響力を持っている。……歓迎民の熱狂振りには驚いた。小雨のなかを傘もささずに待つ姿、天皇を目のあたりに見た真剣な表情、国民は本当に天皇を愛しているのだ。……私は以前天皇不要論者であったが、今は天皇がなければ、国民生活に真空が出来るのではないかとも考える」
シカゴ・サン・タイムズ、ハロルド・ブラウン氏「国民を愛し、国民から愛される天皇、その天皇の愛は米国の人びとには理解し難いのだが、ともかく天皇は『グッド』に対する大きな力になるだろう。われわれが米国で聞いたり、読んだりした天皇と少しも変わらない天皇だった」
11日朝、天皇陛下は沿道に名残りを惜しむ北九州市民の歓呼に送られ、小倉駅から午前8時54分にご出発された。途中、京都大宮御所にご一泊、翌12日午後7時15分に東京駅に到着された。27日ぶりの皇居では、お待ちしていた皇太子殿下、義宮さまはじめ内親王方がどっと歓声をあげられたという。
【ご巡幸メモ】
昭和20年8月14日夜の歴史的な御前会議で泣き伏す阿南陸相に「阿南泣くな」と陛下は語られたが、その阿南元陸相未亡人の綾子さんに大分県ご巡幸で会われている。雨に打たれながら、陛下はお言葉をかけられた。「その後お変わりはありませんか。随分苦しいでしょうね」「はい」綾子さんは、ハンカチで顔を覆い、肩を震わせて嗚咽(おえつ)した。「今日こんなに大勢の遺族の方がたにお会いしまして、心からすみません、すみませんとわびていましたのに、陛下からあんなお優しいお言葉をいただいて私の胸は張りさけそうです」と綾子さん。






