
トランプ米政権1期目に駐ルクセンブルク米国大使を務めたランディー・エバンス氏が、日本の世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への解散命令を批判する論考を米紙ワシントン・タイムズに寄せた。その全文を転載する。(ワシントン・タイムズ特約)
売却対象になっているものは、次の通りである。260の教会建物、礼拝用の長椅子、祭壇、説教壇、そして聖書・注解書・賛美歌集などの宗教文献一式。問い合わせ先は、日本政府が解散命令と清算手続きの下で任命した清算人だ。すべての財産は押収され、必要に応じて売却可能な状態に置かれている。
宗教や教会を標的にして解散・禁止に追い込む政府の行為そのものが、信教の自由という理念に反するものである。しかし、日本のやり方に追随する他国は、それをさらに過激な形で実行している。
イタリアの宗教社会学者マッシモ・イントロヴィニエ氏は、2024年8月21日付のオンライン宗教専門誌「ビター・ウィンター」の論説で次のように述べた。
「ルワンダとケニアは、日本における旧統一教会やその他の少数宗教への弾圧、そしてフランスの反カルト法制を、自国の政策の手本として称賛してきた。アフリカはこれまで多くのウイルスと闘ってきたが、宗教の自由を脅かすウイルスは予想以上の速さで広がっているようだ」
ルワンダでは過去2年間で8千以上の教会が閉鎖された。ナイジェリアではキリスト教徒が標的となり殺害されている。イランでは聖書が禁じられて久しい。歴史を振り返れば、政府が宗教を標的にし、禁止してきた例はいくらでもある。
上記の事例は衝撃的ではあるが、すべて事実であり、すでに他国が宗教団体への締め付けを強める動きを後押ししている。
韓国の状況を見れば明らかだ。ソウルの朝鮮日報はこう報じている。
「李在明大統領は(昨年12月)2日の閣議で、宗教法人による組織的な政治介入は憲法違反であると述べ、『日本で見られるような宗教法人への解散命令を可能にする制度的措置を検討すべきだ』と指示した」
その1週間後、9日の閣議で李氏は次のように述べた。
「(解散が)正当化されるかどうかは訴訟を通じて判断できる。日本では政府が裁判所に解散を請求しているようだ」
日本が解散命令を得るために提示したのは、刑事ではなく民事手続きにおける、数多くの「違法行為の疑い」のリストである。しかし、その中心にあるのは、22年7月8日に安倍晋三元首相を暗殺した山上徹也被告による一つの主張にほかならない。
山上被告は、旧統一教会が自分の家庭を経済的に破綻させたと非難した。奇妙なことに、彼は人気のあった安倍氏が同教団とつながりを持っていると信じ込んでいた。そして、教団と安倍氏の関係こそが、解散への原動力となったのである。
もちろん、一般的に宗教団体に対する非難には、侍者の少年たちに対する性的虐待のような刑事事件もあれば、政治的不安定を招くといった民事上の問題もある。被害者救済や改革、監督体制の強化といった措置には合理性があるが、教会を禁止し、解散させるという手法が正当化されることは決してなかった。
日本で恐ろしいのは、ドイツの神学者マルティン・ニーメラーの詩を思い起こさせるように、誰も声を上げていないという点である(ニーメラー自身、ナチス政権による教会統制に反対して投獄された人物だ)。
「最初に彼らは社会主義者を襲ったが、私は声を上げなかった――私は社会主義者ではなかったからだ」
米国の役割、とりわけ宗教指導者や教会の役割は明白である。われわれは、誰も声を上げないときこそ、宗教の自由と信教の権利を守るために立ち上がらなければならない。他者が権利を奪われているときに沈黙すれば、標的を一つずつ増やしていく力を政府に与えるだけである。
文明的で民主的な同盟国である日本が、その先頭に立つとは誰も予想しなかった。しかし、まさにそれが現実に起きている。今、私たちに課された道義的責任は、この抑圧が広がり続ける中で、他の信仰を守ることである。
保守活動家の故チャーリー・カーク氏は、日本と韓国を訪問した際にその実態を目の当たりにした。ガーディアン紙はこう伝えている。「カーク氏は、尹錫悦大統領に対する特別検察官の捜査や戒厳令の問題を批判し、韓国では『今いくつかの不穏なことが起きている』と述べた。『牧師たちが逮捕され、家宅捜索が行われている』とし、『韓国がこのままの姿勢を続けるなら、米国は正義のために立ち上がるのが当然だ』と語った」
時はまさに今である。
日本の清算人は、すべての教会の扉に次の告示を掲示した。
「この施設および施設内のすべての資産は、清算人の管理下にある。いかなる者も(法人の信者や職員であっても)、清算人の許可なく施設内の物品を持ち出したり処分したりすることは認められない。また、いかなる者も(法人の信者や職員であっても)、清算人の許可なく施設に立ち入ることは認められない」
日本では8日の日曜日、数千人の信徒が200以上の教会から締め出され、教会儀式に参加できず、礼拝する場所すら失った。カーク氏の指摘は正しかった。正義のために立ち上がること――それが米国の精神であり、守るべきは宗教の自由である。
彼らが「次はあなたたちだ」と迫ってくるまで待つわけにはいかない。






