
15年前の東日本大震災による津波で、大きな被害を受けた地域の一つである岩手県釜石市。リアス式海岸という入り組んだ湾の地形が押し寄せる津波を大きくした結果、死者・行方不明者など合わせて927人、関連死を含めると1060人以上の尊い命が犠牲となった。
三陸鉄道リアス線の鵜住居(うのすまい)駅を降りてすぐ目の前に、亡くなった釜石市民を追悼する「釜石祈りのパーク」という施設がある。亡くなった人々の名前をプレートに刻んだ芳名板と献花台が設置されており、その背後には、同駅周辺地域を海抜11㍍の津波が襲ったことを伝えるモニュメントがたたずむ。2階建ての建物でも浸水してしまう高さの波が、周辺地域を襲った時の恐怖と衝撃は想像するのも難しい。
同施設は震災から約1年前の2010年2月に開所された「釜石市鵜住居地区防災センター」跡地を整備したもので、同センターの遺物も敷地内で一部保存されている。この地が慰霊の場に選ばれたのは、同センターに避難した近隣住民196人(推定)のうち、160人以上の命が失われるという痛ましい悲劇が起きたからだ。
震災伝承と防災教育を目的とした「いのちをつなぐ未来館」(同市)では、同センターでの出来事を生存者の証言と共に紹介している。同センターを襲った津波により、水は高さ4㍍近い2階の大ホール天井にまで到達。生存者の証言によると、避難者たちは「顔一つ分しかない隙間から口を出してなんとか呼吸していた」「天井板をはがそうと手でドンドンたたく人もいた」が、やがて多くの人々が波の中で力尽きていった。救助が来たのは発災から3日目の夜遅くで、その間に低体温症で亡くなった人もいたという。
もともと同センターは災害時の避難所として指定はされていたものの、津波が浸水する恐れがあったことから、津波の緊急避難場所には指定されていなかった。それなのになぜ、多くの人々が集まって被災してしまったのか。
大きな被害が出てしまった理由の一つは、名称に「防災センター」と付いていたことで、安全な場所という印象を地域住民が持ってしまったことにある。救急車や消防車など緊急車両の待機施設という側面はあったものの、実際のところ、地域の催しやサークル活動などが行われるコミュニティーセンターとしての性格が強かった。
理由の二つ目は、同センターで避難訓練を実施していたことだ。開所前の避難訓練の場所は毎年、津波避難所として指定された高台の神社などだったが、参加者は少なかった。しかし、新しくできた同センターで避難訓練を実施するようになって以降は参加者が増え、多い時だと約130人が参加するほどの規模になった。
本来なら防災意識の向上につながるはずだったその避難訓練が、近隣住民に誤った認識を与えてしまったと考えると、やるせない思いが湧いてくる。
同館スタッフの川崎杏樹さんは「避難所イコール安全な場所と捉えがちだが、避難にふさわしい場所は時と場合による。この出来事を今後のためにも知ってもらいたい」と訴える。
災害に直面した際、誰かが的確な指示を出してくれるわけではない。自分たちの判断と知識が生死を分けるということ、そして自治体が事前にどれだけ的確な対応を取ることができるのかなど、同センターの悲劇は多くの教訓を私たちに投げかけている。
(東日本大震災15年取材班)







