トップ社会【連載】未来を守る命の教訓 東日本大震災から15年(2)宮城県石巻市 明暗分けた2校の対応

【連載】未来を守る命の教訓 東日本大震災から15年(2)宮城県石巻市 明暗分けた2校の対応

津波火災で焼けた門脇小学校の教室=宮城県石巻市(長野康彦撮影)
津波火災で焼けた門脇小学校の教室=宮城県石巻市(長野康彦撮影)

 東日本大震災によって、宮城県石巻市では死者3188人、行方不明者414人と市町村別では最大となる人的被害が出た。死因の約9割は津波による溺死。当時の状況と後世への教訓を伝える二つの震災遺構、門脇小学校と大川小学校を訪れた。

 門脇小学校では地震の発生直後に全員を高台に避難させ、在校児童が全員無事だった。その後、漂着した焼けた建物の残骸から火が燃え移り校舎が全焼。ここから近隣の建物に延焼し、地域一体が津波と火災で壊滅的被害を受けた。

 この学校が母校で、近隣に住む倉松加代子さん(仮名、75歳女性)も、家は跡形もなく焼け落ち、残ったのは玄関のタイルと基礎だけだったという。惨状を目の当たりにして「悲しいとか何も感じなかった。これは一体何なのだろうという感じで何も言えなかった」と話す。

 同校の校舎は津波と津波火災の痕跡を残す全国唯一の震災遺構として整備され、一般公開されている。1階から3階のすべてで津波火災の被害状況を見ることができ、上の階へ逃げる「垂直避難」にも危険があることを伝えている。

 当時の体育館は一部を改修し、石巻市の被害の概要をはじめ、被災車両2台や実際に使われていた応急仮設住宅を展示している。別棟の展示館では門脇小学校の開校から閉校までを紹介。地震発生時、津波が来る前の素早い避難につながった学校の取り組みも知ることができる。

 門脇小学校と対照的だったのが大川小学校だ。地震発生から津波到達まで約50分の時間があったにもかかわらず、すぐに避難行動を開始せず、当時校庭にいた児童78人中70人が死亡。4人が行方不明となり、教職員11人中10人が死亡した。

東日本大震災の津波で、多くの児童が犠牲になった大川小学校=宮城県石巻市(長野康彦撮影)
東日本大震災の津波で、多くの児童が犠牲になった大川小学校=宮城県石巻市(長野康彦撮影)

 地震発生当時、校長が休暇で不在。指揮系統が不明確なまま、教職員は裏山へ逃げるという意見と、校庭にとどまるべきという意見とで対立した。議論の間にも時間は過ぎ、津波が襲来する直前、ようやく学校から西へ約200㍍地点にある、周囲の堤防より少し高い場所へ徒歩で避難を開始したが、津波にのみ込まれた。

 先述の倉松さんは「小さい頃から祖母が、地震の時は近くの裏山にある神社に逃げれば助かるとよく言っていた」と振り返る。地震が起きたら、とにかく素早く高い場所へ逃げるという先人の言い伝えが、各家庭や地域に住む一人ひとりに定着することが改めて重要だと感じる。

 同遺構は校舎内には立ち入りできず、外から見るだけである。遺構の周囲には碑文や解説パネルが設置されている。訪れた時は雨が降っており、金沢大学の学生たちが見学に来ていて、ガイドの説明に熱心に耳を傾けていた。

 帰り際、改めて入り口の碑文を見た。

 「ときに大事なことを見失い 気づけなくなることの おそろしさを知ってほしいのです」

 「話しあうこと 考えること ともに確かめあうことで きっと あるべき未来は続いていくはずです」

 子供たちの犠牲を、犠牲のまま終わらせてはならない。

(東日本大震災15年取材班)

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