
昨年3月25日に一審の決定が出た時、まさか解散命令が下されるとは考えていなかった信徒さんたちが少なくなかったようです。しかし私は以前から、決して楽観視はできないと集会などで述べていました。教団に対する高額献金訴訟などの記録を多数閲覧し、理不尽な理由で教団を敗訴させる不当判決が多いことに気付いたからです。私の不安は的中してしまいました。しかしこの決定の内容はひどいものでした。
コンプライアンス宣言以降の被害がほぼないという状態に困った文科省は、元信者の陳述書を捏造(ねつぞう)改ざんしてまで無理やり証拠をでっちあげたのですが、それが裁判で露見したため、裁判所の方もさすがにこれを証拠に採用することができなくなりました。そうすると、解散事由が事実上存在しなくなるため、なにがなんでも教団を解散させなくてはならないと焦った裁判所が行ったのが、被害の推測です。
コンプライアンス宣言後、被害は顕著に減っていると述べているにもかかわらず、潜在化した被害があるに違いないと決め付けました。
そして、和解や示談までも不法行為であると判断したのです。私は法律には素人ですが、さすがにこのアクロバティックなこじつけには唖然(あぜん)としました。もはやイチャモン、難癖のレベルです。
私は、審理が高裁に移った後も、こうした不合理な論理を高裁が引き継ぐなら、家庭連合にいかに理があっても勝ち目はないと悲観的に考えていました。ただ漏れ伝わるところでは、高裁の判事は文科省に対し、「証拠裁判主義に則り、具体的な証拠を出してください」と要求したが、文科省は新たな証拠を出してこなかったということを聞き、一縷(いちる)の望みを持ちました。しかし高裁はやはり一審を踏襲するとの決定を出しました。
信徒ではない私も本当にショックですが、わが国の司法は、家庭連合を解散させるべしという意志のもとに、憲法に基づいた適正な手続き(デュープロセス)すら無視してこの決定を下したわけで、一審と同様、国策裁判であることは間違いありません。
これはもはや一宗教団体の問題ではありません。不当な超法規的決定によって、不人気な団体を力でねじ伏せることができる先例を作ったのです。次は創価学会などという声も聞こえてきますが、明白な宗教迫害であり、法治国家の根幹を揺るがす事態です。
しかし一番心配されるのが、信徒たちへの差別や迫害です。何も罪を犯していない信徒たちが石もて追われるような事態が迫っています。日本国民なら当たり前に享受している基本的人権が奪われようとしています。教団は早急に、政府に対し、信徒たちの人権の擁護、保護を強く要請すべきだと思います。






