

福岡 昭和24年5月28日~29日
長崎県は雨が多い。大村湾を望む西彼杵(そのぎ)郡琴海町の入り江は大小の島々と風光に恵まれている。歌手さだまさしが買い取った無人島――詩(うた)島もこの大村湾に浮かぶ。
その風光明媚な眺望を一望のもとに見下ろす高台に大石共立病院が建っている。瀟酒(しょうしゃ)な建物のなかでも、院長室は海側に向き、窓からの眺めがパノラマのように収められている。
院長の梶山茂氏(58)は、陛下の福岡県ご巡幸当時、久留米医大(現久留米大学)のまだ学生だった。学生の立場にありながら、すでにご巡幸の訪問スケジュールがほぼ決定されていた段階で、梶山氏は福岡県庁にかけあい、私立の久留米医大へのご巡幸を頼み込んだ。最終的には宮内庁まで出かけて決定に運んだのだった。
一介の学生の要望で、しかも国立大学ならいざ知らず、私立大学への天皇陛下のご巡幸が決定されるというのはきわめて異例のことに属する。終戦後の混乱と思想的混迷という状況のなかにあっても、天皇陛下と皇室への変わらぬ思いが、皇室関係者を感動させたのであろうか。
当時、ご巡幸の検分に福岡を訪れていた入江前侍従長(当時侍従)には、このときの印象が強烈に残っており、後に梶山氏あての私信でそのことについて触れている。
《一応の案は出来ていたのに、梶山さんのご懇望によって久留米医大が追加されたのですから忘れようといってもあの感銘は忘れられません。出先のわれわれだけでは決められず保留にして東京へ帰り、当時の田島長官にこんな若い方が熱心に望んでおられるのにそれをやめにすることが出来ようかなど説きましたが、なかなか簡単にはいきませんでした。ところがそこへ彼が上京して頼まれた。だからそれほどに言われるのなら、と田島さんも承知しました。そのいきさつは全部陛下にも申し上げ、陛下もふるって久留米医大へおいでになったのです》

梶山氏は、当時の心境を次のように語った。
《私たちの大学に寄っていただけないというのが残念だったんです。陛下は生物学のご研究にお詳しい。大学では日本住血吸虫の問題を見ていただきたい。それで陳情に行ったのです》
敗戦のとき、宮崎県で陸軍の幹部候補生として教育を受けていたという梶山氏。玉音放送のときはハラを切る」ような心境だった。だが、そのときの教官が語った「ハラを切るのは簡単だが、むしろ命ながらえて、復興に力を尽くすべきだ。今から第二次大東亜戦争の始まりだ」という言葉が彼を思いとどまらせた。
そういう梶山氏だから、「皇室を尊崇する気持ちは敗戦以後も全く変わらなかった」と語る。「戦後日本の復興はわれわれの手でやらなければならない」と考えていた梶山氏にとって、久留米医大に陛下をお迎えすることは、至上の念願と言えた。
昭和24年5月11日に、久留米医大にご巡幸決定の電話が入る。小野寺学長をはじめ教職員一同感激したことはいうまでもない。
大学では5月21日に学内大掃除、26、27の両日はリハーサルと、万全の準備を整えてご巡幸当日にそなえた。
5月28日は昨夜からの雨が午前9時ごろやみ、午後には雲の合間から陽光が差す天気に。
陛下は午後1時51分、大学玄関前に自動車でご到着。陛下は野瀬清水総務の万歳の音頭で迎えられた。小野寺学長の先導で、細菌研究室へ。小野寺学長が奏上した。
《謹んで申し上げます。本大学は関西以西におけるただ一つの旧制による私立大学であります。今日ここに御親臨を仰ぎえましたことは、本大学のもっとも光栄とし、感激おく能わざるところであります》
次に高野義臣助教授が、図表を指しながら、筑後川流域における日本住血吸虫症についてご説明する。
陛下は、ご自身のルーペを取り出され、日本住血吸虫の発育環の標本を熱心にご覧になる。予定の時間を10分の超過。梶山氏は奉迎者にまじって、陛下のお姿をうかがう。
《まことに磨きぬかれた立派な方だな、と感じました。天皇陛下が人間宣言されたときは、ああいうことをおっしゃる必要はないと私は思いました。別に神格化、神さまであるとまでは思っていませんでしたが、立派な方だとは常々思っていました。久留米に来られたときもそう感じました。共産党員といえども、日本人ならば、おのずと姿勢を正すにちがいない。そういう印象でした》
東京裁判では、勝者が敗者を裁く不当性に対して激しい憤りを感じ、B級戦犯が有利になるよう奔走もした梶山氏である。その後、警察予備隊の医官となり、折しも白鳥事件に震撼(かん)する北海道へ自ら志願して赴く。
大村湾に臨む大石共立病院は、地域の人びとの要請によって建てられた数少ない総合病院の一つ。
「本当は、南米のパラグアイにでも行こうかと思っていたんですよ」と語る梶山氏。現在、教育正常化を主眼とした「全国教育問題協議会」副理事長の要職にある。
《結局、陛下に対して一心をささげて尽くしますという気持ちは、今でも変わりませんね》
【ご巡幸メモ】
福岡県大牟田の三井化学工業三池染料工業所の大坪所長がご巡幸のお礼に上京して語った内容が『天皇さまの還暦』(入江相政著)に出ている。「陛下がおいで下さってからひと月後の成績は、まことに驚異的で、生産のカーブは急上昇した。現在の、電力、石炭、運輸、交通、食糧等あらゆる条件から考えて、どのようにソロバンをはじいても、こういう数字をはじき出すことは出来ない。われわれ玄人筋としても実に不思議でならないけれど、とにかく事実がそうなっている」







