
昭和24年5月18日~21日
昭和24年5月18日、東京を出発したお召し列車は一路西下し、初めて関門海底トンネルを通過、福岡県小倉駅に姿を現した。ご巡幸行程全23日間、7県2000キロに及ぶ九州ご巡幸の第一歩である。
大東亜戦争の敗戦から4年。日本国民全体が敗戦の痛手からようやく立ち直りつつある時期であった。そして当時、世界は大戦後の混乱と激動に揺れ動いていた。昭和22年コミンフォルム成立、23年大韓民国、北朝鮮成立、24年中華人民共和国の成立と、特に共産主義国家などの台頭が目立つ。
国内に目を転ずると、昭和24年だけに限っても、共産党の進出、そして戦後史を暗く彩る下山事件、三鷹事件、松川事件と、世情不安を示す事件が相次いで発生。内外ともに激動の時代に、天皇陛下のご巡幸が再開されたのである。

天皇陛下を福岡県にお迎えしたのは、日本社会党所属の杉本勝次知事(当時52歳)。22年の地方自治法の成立により、選出された最初の公選知事に当たる。
杉本知事は「こんどのご巡幸は戦争犠牲者の御慰問と産業復興の御激励にありますが、このようにわれわれの生活と日本再建にご関心を持っていただくことは感謝のほかありません」と、そのときお迎えの言葉を述べた。
福岡県は八幡製鉄(新日本製鉄の前身)などの工業と筑豊炭鉱などの石炭生産県で知られ、戦後復興の担い手として期待が高まっていた。石炭生産は、戦前最高2550万トン(昭和15年)から、終戦直後の20年には924万トンに低下。天皇ご巡幸の24年には、1500万トンと増加し、翌々年の26年の韓国動乱の特需ブームでは戦後最高の1800万トンに達した。
戦後復興の時期、2期知事を務めた杉本氏は現在福岡市の唐人町に住む。明治生まれの90歳という年齢にもかかわらず記憶力はさほど衰えていない。
《陛下は産業復興の激励に来られた。反応は良かったですね。陛下がご巡幸されて、目に見えてすぐ復興が早まったとはいえないが陛下が来られなかったら、復興はおそらくもっと遅くなっていたのではないでしょうか》
当時、日本復興の要(かなめ)となるエネルギーは石炭だったが、そのご巡幸のとき三池鉱業所三川鉱では、陛下ご自身が坑道の奥深くに入られて激励されたのである。
《熱かったですね。陛下のキャップ・ランプをつけたお姿が印象的でした》
『天皇陛下行幸誌』はこのときの陛下のご様子を次のように記している。
「城戸係長以下同じ服の作業員たちにも親しげに、『健康状態はどうかね』『暑くはないかね』『苦しいだろうが採炭は大切な仕事だからしっかりがんばってください』と激励される。増産を誓う鉱夫の感極まった顔と口、陛下のキャップ・ランプがひときわ明るく動く。地底からわいてくるような万歳の声があちこちにこだまして長い尾を引く」
後に陛下はこのときのこ感懐を次のように御製に託されている。
海の底のつらきにたへて炭ほるといそしむ人ぞたふとかりける
――御集『みやまきりしま』所収
当時、社会党は「民主化された天皇制の下に、民主主義、社会主義の実現に進む」という基本的態度を取っていたが杉本氏は、ご巡幸の意義を高く評価する。
《ご巡幸は、国民にとって本当に必要なときに行われたという感じです。天皇陛下の名演でしたね。知事として陛下をお迎えしたのは大変良かったと思っています》
知事在任時代は、食糧、住宅確保に力を注ぐ。戦争直後の混乱した時期を過ぎたとはいえ、まだ食糧難が続いていた。配給にイモの茎を充てたことなどが印象に残っているという。
杉本知事の下で秘書課長として、実務を担当してご巡幸を迎えた由良半三郎氏(74)は同じく福岡市に住んでいる。由良氏は、入江前侍従長(当時は侍従)との打ち合わせなどの思い出を語りながら、陛下のご巡幸について杉本氏とは別の角度からこう証言する。
《戦後すさみきったなかで、ご巡幸がなされたということで老若男女を問わず歓迎していました。物の豊かさはありませんでしたが、それによって明るさがあったのです。陛下は会社や事業所、工場などで激励されご下問をされ、引き揚げ者などには深々とお会釈なされた。それが国民のすさんだ心を豊かにし、盛りあげたのです。当時はテレビもなく、何の楽しみもない時代ですから、ご巡幸が明るさをもたらしたように思うのです。陛下のお人柄と日本民族の伝統でしょうか。車のなかでも汽車のなかでも変わらずにお会釈される姿が印象的でした。本当に重労働ですね。だから、その陛下のお心が国民に届かないはずがないと思います》
由良氏は当時の福岡県民の熱狂的な歓迎ぶりを語りながら、天皇ご巡幸を担当したことを「大変光栄で強い思い出」と振り返って言う。
《食べることの不如意、終戦直後の混乱、労働運動の高まり、物価統制、生産割り当てのなかで危険を顧みられずに農業、工業、水産関係などを回られた陛下です。それが大歓迎を受けたわけです。産業への影響は大きかったと思います。ある意味では陛下がおいでになったことで、一般社会構造が変わった、秩序が出来た、そういうことが言えるのではないかと思います》
【ご巡幸メモ】
天皇陛下の印象を「待ち佗びた父」と題して、八坂靖子さん(21)は次のように書いている。「…ほんの一瞬だったけれどこの陛下のお姿は一生私の眼底に焼きついて離れないでしょう。そうしてこの私の感激は、ちょうど幼な子が待ちわびたやさしい父に会ったそのままです」(『西日本新聞』昭和24年5月21日付)。天皇陛下を父のように感じるのは、年齢に限らず日本人一般に通じる感情のようだ。古賀巌氏(51)も陛下に接して「われわれのお父さんだ」という感想をもらしている。







