

昭和22年11月29日~12月1日
君がまえにぬかづき奏すわれが身の無上の栄へにむねふるはせる
出雲市に近い斐(ひ)川町の岡正一氏(67)の家のふすまに達筆で、この歌がしたためてある。岡氏の父・文四郎氏(85)が、昭和22年の天皇陛下ご巡幸に際して感激を詠んだものだ。当時、県議だった文四郎氏は、陛下の御前で奏上、ご説明を行った。
斐川町はその名の通り、斐伊川のほとりの湿地帯として知られている。斐伊川は古称を簸(ひの)川といい、ヤマタノオロチの伝説にゆかりのある川で平地よりも高い所を流れているため、古来から伝統的に高畦(うね)作業が行われた。その作業を陛下にごらんに入れてから、約40年が過ぎた。

ふすまには他にも何首か書いてある。次はそのうちの二首。
献穀の栄えある式に龍顔をふたたび拝しわれ感激す(27年)
NHKのテレビにうつる我がすがたこゑつつましく立ちし日をかたる(40年)
これらはほとんど、天皇陛下とのかかわりを歌ったものだ。陛下に対する文四郎氏の思いは、そのまま文四郎氏自身の半生の記録ともいえる。その原点になったのが、昭和22年11月29日から12月1日の3日間の島根県ご巡幸である。
行幸第2日の30日、天皇陛下は伊波野村、現在の斐川町を訪ねられた。冬晴れのなか、田んぼには高く高畦が築かれていた。田んぼに沿って、伊波野村富部落の青年男女60人が、白はち巻きか自帽子にカスリの筒っぽ、もも引きをはいて、手甲、脚絆(はん)姿でりりしく待機した。
沿道には伊波野、直江、出西の三ヶ村を中心に数千の農民が陛下のおなりを待っていた。
10時15分、お車が到着された。期せずして万歳の声が起こった。この音頭を取ったのが、青年団長だった正一氏。
《やっぱり緊張しました。声は軍隊できたえたから平気でしたが》
文四郎氏は陛下に高畦作業について奏上した。そして、青年男女と老人の作業を指し示して、「新田長蔵はこのたびの戦争に2人の男の子を失いまして、今は兄の未亡人と孫の3人、しかも本人今年65歳の老齢でありながら、よく七反歩の土地を耕作し食糧増産にいそしみまする風情を見かねた部落の男女青年団員は、毎年きつい仕事たる高畦掘りの手伝いをやっていたのであります」と述べた。
陛下はうなずかれながら、静かにお聞きになった。
「あの泥田に入っていて足がつめたくないのかね」
「田に入りました瞬間、つめたさを感じますが、働くことによって体が温(ぬく)もります」
文四郎氏は、新田長蔵氏を呼んで陛下にご紹介申し上げた。
「2人の子供をなくして誠に気の毒に思う。食糧増産の大事なときだから身体を大切にして増産に励んでくださいね」
「ありがとうございます。身を粉にしても働きます……」
新田氏の目は涙にぬれ、ふと見ると陛下のお目も心なしかうるみがちだった。
文四郎氏は島根県発行の『天皇陛下御巡幸誌』で、「感激のあまり」と題して、四首の歌を作っている。そのなかの二首。
稲つくるそのなりはいをみそなわすきみがひとみはうるおいにけり
子を二人国にさゝげし老農夫はげまし給う君ぞかしこし
伊波野村における陛下のご視察時間は32分で、予定時間の2倍以上という行幸史上あまり類例のないものだった。陛下はよほどこの伊波野村のご視察が印象的だったようで、一日、浜田で犬丸行幸主務官を通じて、次のようなご感想をもらされている。
「なおこの度は大事な2人の息子を失いながら、屈せず食糧増産のため懸命に努力する老農の姿を見、一方またこれを助ける青年男女の働きぶりを見て誠に打たれるものがあった。このような涙ぐましい農民の努力に対しては深く感動を覚える。いろいろ苦しいこともあろうが、この努力を続けてもらいたい」
30日は、伊波野村のご巡幸を終えた後、陛下は31年ぶりで出雲大社にご親拝され、石見路へと向かわれた。
中国5県のご巡幸を終えられた翌年の1月14日、原知事がお礼言上のため上京して葉山の御用邸に伺候した際、陛下は御製を一首、授けられた。
老人をわかき田子らのたすけあいていそしむ姿とうとしと見し
この御製は、いうまでもなく伊波野村の新田長蔵氏とそれを助ける若者を歌われたものである。
《重ね重ねの光栄に言葉もなかった。この上は一意専心増産にまい進して陛下のご期待に沿い奉らんと全村一つ心に誓い合ったのです》
と述懐する文四郎氏は声をつまらせる。今では正一氏に家督をゆずって悠々自適の身だが、毎週必ずテレビで「皇室アルバム」を見るという。
当時、伊波野村小学校6年の原圭子さんは「天皇陛下をお迎えして」という題で感想文を書いた。
「まもなく『天皇陛下万歳』という声に見送られながら、人々の前をしずかにとおり、お召し車は、私たちの前へ進んで来ました。その車に私の顔がはっきりうつりました。と、自分の身がしびれたようになってゆめのような気がしました。(略)あとで、新聞に陛下はとても伊波野村がお気にいって、歌をおよみになったと、かいてありました。ほんとうに私たちの村は、日本中のほまれだと思います」
【ご巡幸メモ】
陛下のご巡幸の道中安全を祈って、益田町臨済宗の古刹醫(い)光寺の住職屋根原崇壽師は、29日朝から断食を始めた。師は当日午前4時起床、沐浴の後、県下ご巡幸の3日間、断食の行を続け、仏心を通じて陛下のご安全を祈ったという記事が当時の新聞に出ている。また、日立製作所安来工場では29日、行幸を機に2カ月にわたるストを解消し、労使手を握りあって生産増強を誓いあったと、これも新聞に報じられた。





