高裁、「信憑性」ない供述採用

世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)の信者で、「全国拉致監禁・強制改宗被害者の会」代表の後藤徹氏は、自身が経験した家族らによる棄教強要を目的とした12年5カ月の監禁に対するジャーナリスト・鈴木エイト氏の「ひきこもり」発言などについて、名誉毀損(きそん)であるとして1100万円の損害賠償を求めた。第一審の東京地裁では鈴木氏の不法行為を認め、後藤氏側が勝訴したものの、控訴審では逆転敗訴。この判決を不服として11日、最高裁に上告した後藤氏に、裁判の判決が与え得る影響などについて聞いた。(信教の自由取材班)
――逆転敗訴となった高裁判決の問題点は。
私は、宮村峻(たかし)氏ら職業的ディプログラマー(脱会屋)の教唆を受けた家族に拉致され、12年5カ月の間(1995年9月から2008年2月)、都内のマンションなどに監禁され棄教強要された。監禁解放後に脱会屋らを民事提訴した結果、全面勝訴を勝ち取り、2015年には最高裁で勝訴判決が確定した(以下、後藤裁判)。
鈴木エイト氏の「ひきこもり」発言は、拉致監禁を否定し、棄教強要を正当化するものであり、拉致監禁をはびこらせないためにも私は民事提訴に踏み切った。一審判決では、後藤裁判の勝訴判決の事実認定を採用し、「ひきこもり」の真実相当性は無しと判断、鈴木氏の不法行為を認め、こちらが勝訴した。鈴木氏側が拉致監禁を否定する新たな証拠を提示できなかったので当然の判決と言えた。
ところが、控訴審は、鈴木氏が後藤裁判の当事者ではないとの理由から、その事実認定には拘束されないとして独自の事実認定を行った。後藤裁判が退けた敗訴被告らの証言を基に、「ひきこもり」との事実摘示に真実性ないし真実相当性が認められると認定したのである。こうして不法行為の成立は否定された。
しかし、後藤裁判が被告らの供述を採用しなかったのは、信用性が欠如していたからにほかならない。最高裁で全面勝訴判決が確定した認定事実をことさらに無視し、信用性なしとして敗訴した被告側の供述を持ってきて事実認定したことに大変違和感を覚えた。
――その判断だと、後藤裁判を“誤審”だと評価することにならないか。
そういうことになると思うが、一方で控訴審の判決文では、こちらが勝訴した後藤裁判の事実認定を評価して、私を監禁した家族たちに対し「違法性がなかったということになるものとは解されない」と判示している。
確かに裁判の原則として、事実認定や証拠の評価は自由に判断できるという「自由心証主義」はある。一方で、裁判所が事実を認定する際に、社会的に一般に通用している常識や科学的経験則に反した不合理な判断をした場合には「経験則違反」になり、最高裁への上告受理申し立て理由になる。
監禁による違法性と自由が担保された「ひきこもり」は、同時に成立しないのだから二つの判決の事実認定は完全に矛盾している。過去の裁判で「信憑(しんぴょう)性なし」と却下された相手の供述を新たな証拠もないまま事実認定するのは「恣意(しい)的な供述のつまみ食い」と言え、裁判官がそれぞれ別の裁判ごとに相矛盾する判断を下したら司法制度の信用に関わる問題だ。
時間と労力をかけて証拠を集め、相手の供述の矛盾点と虚偽性を暴き、最高裁にまで至って勝ち取った全面勝訴判決は何だったのかと、虚(むな)しさを感じざるを得ない。
中立公正を逸脱 背景に偏見
――“加害者”である家族に肩入れした判決のようにみえる。
後藤裁判の控訴審判決では、「信じている宗教の内容が親兄弟の考え方と異なるからといって、任意の説得の範囲を超え、有形力を行使して、その自由な意思や行動を制約し、強制的に統一教会からの脱会を迫ることは、もはや社会的に許されている親子兄弟による任意の説得の範囲を超えるものであって違法であり、客観的には監禁と評価されても致し方のないものであったと認めるのが相当である」と認定し、いくら親兄弟であっても監禁による脱会説得は違法行為であることを明確に判示した。
しかし、今回の高裁判決は、後藤裁判において退けられた被告側の虚偽供述をわざわざ掘り起こして事実認定した。これは、裁判官が「監禁により人権侵害を受ける家庭連合の信者」よりも「統一教会から脱会させようとする信者家族」に対して相当な同情を寄せて心証形成したようにみえる。そうでなければ、わざわざ最高裁で確定した後藤裁判の全面勝訴判決を覆すような事実認定はしないはずだ。このような判決の背景としては、裁判官が家庭連合信者を“マインド・コントロールされた被害者”と捉えている節がある。
実際、今回の判決文の中で「マインドコントロール」という言葉を「心理的強制」を及ぼす言葉として無批判に使っている。しかし、魚谷俊輔著『間違いだらけの「マインド・コントロール」論』に詳しく解説されているように、「マインド・コントロール言説」は、科学的に定義不能な政治的概念であり、裁判の判断に使用できるような概念ではない。
裁判所の中立と公正を信じたい気持ちはある。しかし、今回の余りに想定外の控訴審判決が、世論や今の家庭連合に対する解散命令の流れに沿うバイアスがかかったものであることは間違いない。






