トップ社会戦後80年「英霊の姿から歴史学べ」 1985年本紙連載が「戦後資料」 元陸軍飛行第110戦隊付整備隊長 牧 勝美さん

戦後80年「英霊の姿から歴史学べ」 1985年本紙連載が「戦後資料」 元陸軍飛行第110戦隊付整備隊長 牧 勝美さん

インタビューに応じる牧勝美さん=17日、熊本県熊本市

80年前、沖縄戦で出撃した陸軍飛行第110戦隊付の整備兵として熊本県で終戦を迎えた元陸軍少佐の牧勝美さんは、戦前から戦後という変化の目まぐるしい1世紀を生き抜いて現在105歳。「個人を重視する価値観に変貌した現代こそ、英霊の姿から日本の歴史を学ばなければならない」と語った。(竹澤安李紗、写真も)

大正8年生まれの牧さんは、将校だった父親の背中を見て育った。

「当時、優秀だった学生はみんな士官学校を目指したものです」

出身地の静岡から上京し、陸軍幼年学校を経て、陸軍将校を養成する陸軍士官学校(53期生)に入った。卒業時に航空技術に転科し、技術を学んだ後、1944(昭和19)年10月に陸軍飛行第110戦隊に就いた。24歳だった。

同隊は翌年春、隈庄(くまのしょう)飛行場(熊本県杉上村、現在の熊本市南区)に拠点を移し、沖縄周辺海域の敵艦へ爆撃を行った。同隊の整備部門を統括する立場だった牧さんは、爆撃機の整備を行う整備兵や、操縦士らとともに爆撃機に搭乗する機関手の指導に当たった。

他の隊と比べて訓練された少年飛行兵がほとんどいなかった。「未熟な隊員たちは一生懸命勉強した。他の隊から、『経験の浅い隊員が多いのに、よく(機体が)飛ぶな』と信じられない様子で言われたこともある」と、当時の苦労を振り返る。

45年5月、第110戦隊は義烈空挺(くうてい)隊の作戦に加わり、同月24日、米軍に占領された飛行場を破壊するために熊本から出撃した。

世界日報は40年前の1985(昭和60)年夏、特攻隊などをルポした連載企画で、第110戦隊の中隊長・高津(こうづ)運八陸軍大尉(1919~45)を取り上げた。

高津大尉を中心とした第110戦隊の四式重爆撃機「飛龍」6機と第60戦隊の6機は、同隊に先行して沖縄に向かった。

〈沖縄上空に入ると、高津大尉の指揮する「飛龍」は、激しい対空砲火を浴びながら、猛然とその中へ突入していった。「目的地ニ入ル」と連絡があった後、プツリと音は途絶えた。

(元教え子の)古屋康雄氏は、高津大尉が義烈空挺隊の進入を助けるために、おとりになって敵戦闘機か対空砲火のえじきになったと推測している〉

高津大尉と義烈空挺隊の隊長・奥山道郎大尉(1919~45)は牧さんの同期に当たる。

終戦から40年の節目に出版され、この連載記事も収録されている世界日報社会部編『わだつみは蒼く澄みたり―特攻と散華』(泰流社、絶版)を戦後資料として読んでいた牧さんは、高津大尉の最期の任務を本紙に語った。

「高津大尉は単なる〝おとり〟ではなく、義烈空挺隊を掩護(えんご)するため、同隊が飛行場に突入する前に飛行場やその周辺を爆撃する役割を担っていた」と説明し、「当時の戦況の中で、第110戦隊の隊員は訓練に十分な時間をかけられず出撃した」と明かした。

義烈空挺隊の機体は洋上200㍍、第110戦隊と第60戦隊は4、5千㍍で先導した。夜間で困難な飛行を余儀なくされたが、この掩護によって義烈空挺隊は米軍に占領された飛行場への攻撃に成功した。

「大変だ。大変だ。日本兵が着陸して大暴れしている。この飛行場には着陸できないから他の飛行場へ行け」。牧さんは、隈庄飛行場の通信室で敵地の通信を傍受していた隊員が、英語でこう伝える米兵の声を拾ったと聞いたという。

世界日報社会部著『わだつみは蒼く澄みたり-特攻と散華-』(泰流社)

散華した仲間の分まで

作戦から約2カ月後、隈庄飛行場で終戦を迎えた牧さんは、技術を買われ熊延鉄道(現熊本バス)に就職した。現在も熊本市に居住し、自衛隊出身者でつくる熊本偕行会の名誉会長などを務める。80年間、地元の静岡に帰らず最後の任地である熊本に住み続けた牧さんは、英霊である仲間たちを慰霊顕彰し続けている。

牧さんは97年、隈庄飛行場跡に立つ「火の君文化センター」に同飛行場の歴史を伝える石碑を建立した。「碧空(へきくう)に祈る」と刻んだ石碑には、「祖国防衛に挺身したこの飛行場が昭和の動乱を生きた歴史の一頁として後世に語り継がれることを願い、万世の太平と若者達の鎮魂を祈念」すると刻まれている。

長寿の秘訣(ひけつ)は「利他に生きることです」と笑顔で語る牧さんは、65歳から視覚障害者のため書籍を音声にして伝える「音訳」のボランティア活動を始め、これまでの40年間で1100冊以上の音訳を行った。2004年には功績が認められ、緑綬褒章を受章した。「散華(さんげ)した仲間の分まで社会に貢献したい」という思いがあったという。

終戦から80年、戦争経験者の高齢化が進み、元日本兵の声を聞くことが難しくなっている。当時のことを昨日の出来事のように答える牧さんは、整備隊長として、多くの若い隊員を見送った。そのほとんどが戻らなかった。

日本では戦後80年といえど、世界では戦争が絶えない。命の尊さと戦争の厳しさを、肌身で痛感した牧さんは、この時代こそ、「戦争を経験した日本の歴史を学ばなければならない」と真剣な表情で語る。

「昔は国のためにという国民の意識があったが、現代では自分が大事という個人主義に変わった。英霊たちは国や家族を守るために命を懸けた。戦争のない平和な世のためには、誇り高き英霊の姿から歴史を勉強し、未来に平和を築こうとする姿勢が大切だ」と力を込めた。

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