吉田松陰も仰ぎ見た歴史ロマン
羽州街道随一の渡しの難所

明治天皇ゆかりの恋文(こいぶみ)の聖地・きみまち阪県立自然公園(秋田県能代市二ツ井(ふたつい))の向かいに「七座山(ななくらやま)」は横たわっている。その魅力の一つは、標高287メートルの低山でありながら、春は色とりどりの花々、秋は全山が紅葉する自然の豊かさであり、巨石と巨木が次々と現れ、権現様(ごんげんさま)などの信仰の山でもある。もう一つの側面は、江戸時代の幹線道路だった羽州街道が山の傍(かたわ)らを通っていたこと。人々は大河である米代(よねしろ)川を舟で渡った。吉田松陰、伊能忠敬、幸田露伴など歴史に名を刻む人々がその傍らを歩いて行った。歴史のロマンが漂う。(伊藤志郎)
七座山は、稜線沿いに七つの峰(座とも倉とも呼ぶ)が並ぶ連山である。南北方向に3キロ超の細長い形をしている。
去年からこの山に関心を持っていた。4月7日に訪れると積雪があり登山を断念。5月8日に再挑戦した。
前日までの弱い長雨は止んだが、展望台に向かう直登コースの道はぬかるんでいた。途中から左折し進むと、次々と現れる巨石に驚いた。大きいものは幅6メートル、高さ4メートルほどもある。天然秋田杉やケヤキの巨木が岩を抱えている。直径1メートルを優に超す杉が随所に見られた。

藩政時代、七座山は藩にとって最も大切な「御直山」として保護された。今では見事な天然秋田杉(80%)と広葉樹(20%)の混成林となっている。
下山は別の道を通る。「権現様の岩屋」に出た。幅4メートル以上もあろうか、巨石の下に空間があり、祠(ほこら)がまつられている。少し下ると、山仕事の安全を祈願する石造りの祠もあった。
道々には様々な種類のスミレが咲く。白や紫のキクザキイチゲやニリンソウの群落もあって、心が和む。白いブラシ状の花が咲くヒトリシズカや紫色のエンレイソウなど花の種類が多い。
下ると、駐車場に近い公衆トイレの脇に出た。米代川の河岸ではサクラマス目当ての釣り人が長い竿(さお)を振っていた。
実は、この七座山を回り込むように、県北の大河・米代川がヘアピンカーブを描いて流れている。江戸時代、江戸―桑折(福島県)―久保田(秋田市)―能代―二ツ井を通る羽州街道があった。

北には白神山地の深い山々が連なり陸路はない。ここ二ツ井で人々は、「切石の渡し」と荷上場(にあげば)の「一里の渡し」を通らなくては大館や津軽藩(青森県)方面に行けなかった。
米代川は川幅が160メートルほどもあり、雪解け水が滔々(とうとう)と流れている。羽州街道の中で二ツ井は「最大の難所」だった。荷上場と小繋(こつなぎ)など三つの宿場ができ、日常品や食料品を商う定期市も開かれ町は栄えた。
参勤交代の一行はもちろん、冒頭の著名人にあわせイギリスの女性旅行家イザベラ・バード、紀行家・菅江真澄、牧野富太郎など無数の人々が川を渡っている。
現在では、きみまち阪の下にトンネルが掘られ橋も架かり車や電車で楽々と通れるのだが……。13日にきみまち阪公園に立ち寄った。桜の花はまだ残っていたが、ツツジは終盤だった。細長い七座山は向かいにどっしりと鎮座している。
木材などの交易や人の往来のあった荷上場船場跡は、時代により移動し洪水にも見舞われ今は形を残さないが、「荷上場」の地名は残った。秋には紅葉の最も美しいハウチワカエデと、ウリハダカエデやベニイタヤの黄葉が交わり、山全体が錦の着物を纏(まと)ったように豪華だという。なお「道の駅ふたつい」に詳しい展示がある。