松川市政の継承と発展誓う
現職の死去に伴う沖縄県宜野湾市長選が8日、投開票され、保守系無所属の佐喜真淳元同市長(60)=自民、公明推薦=が、玉城デニー知事や革新系団体の支持を受けた新人で元同市議の桃原功氏(65)=立民、共産、社民、社大推薦=らを破り、6年ぶりに市長に返り咲いた。同市が抱える米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設容認と、跡地利用推進を掲げてきた松川正則市政の継続を望む明確な民意が示される結果となった。(沖縄支局・川瀬裕也)
辺野古移設容認の民意再確認
玉城県政と「オール沖縄」に大打撃
投票が締め切られた8日午後8時、全国メディア1社が佐喜真氏当確を報じたことで、結果を待つ佐喜真陣営は穏やかな空気に包まれた。県内地元紙をはじめとする各報道機関は、佐喜真氏と桃原氏の事実上の一騎打ちを「大接戦」としてきた。佐喜真氏の得票は2万4173票。7978票の大差を付け、佐喜真氏が勝利した。
開票が進んだ午後10時前に、地元メディア各社が当確を報じると、会場は「おかえりなさい!」「おめでとう!」などの歓声と拍手に包まれた。当確の一報を受け、胸に黒の喪章を着けてあいさつした佐喜真氏は、「当選の2文字を松川正則市長に報告できることを嬉(うれ)しく思う」と語り、8月に公務の最中に急逝した故松川氏を偲(しの)んだ。佐喜真氏の横で、松川氏の遺影を手に抱き結果を見守っていた次男・正志さん(45)の目からは大粒の涙がこぼれていた。
支援者らを前に佐喜真氏は「松川市政を継承し発展させ、次の世代へと、広大な基地の跡地をしっかりとバトンタッチする」と固く誓った。公務で沖縄出張中の茂木敏充自民党幹事長も駆け付け、「普天間飛行場の1日も早い返還と、跡地の利活用を佐喜真さんにしっかりと進めてほしい。国としても全面的にバックアップしていきたい」とエールを送った。
一方で、玉城氏を支持する「オール沖縄」系組織の全面支援のもとに、辺野古移設反対などをアピールし続けた桃原氏は「全ては私の力不足だった」と敗戦の弁を語った。
桃原陣営は、「“新基地”建設反対は県民の総意」であるとする従来の姿勢を崩さず、国と協調して跡地利用などを推進する松川市政や佐喜真氏の公約を批判していた。組織力において佐喜真陣営を凌ぐとされていた桃原陣営が、盤石な保守基盤とはいえない宜野湾市で敗北した今回の結果は「オール沖縄」と玉城県政にとって大きな打撃だ。
自民県連関係者は、「(辺野古移設を巡る国と県の裁判で)最高裁判決が出ても抵抗し続ける玉城知事の姿勢と、代案なき反対を続けるだけの『オール沖縄』への期待感の薄れが無党派層の票の動きに大きく影響した」と分析する。
佐喜真氏は選挙戦の中で、「普天間飛行場の代替施設の問題で、市民・県民は対立や分断を選挙のたびに繰り返してきた。もうそろそろ普天間飛行場で争うことなく、次のステージに進もうではないか」と語り、跡地利用による地域振興促進を訴えていた。これらの公約がサイレントマジョリティーを動かし、当選につながったとみられる。
佐喜真氏は、市議、県議を経て、2012年に宜野湾市長選で初当選。2期目途中の18年8月まで市長を務めた。同年と22年の知事選に出馬したが落選した。
投票率は53・27%で、2年前の63・49%を10・22ポイント下回る結果となった。
佐喜真淳氏のコメント
以下は佐喜真淳氏と記者団との一問一答。
――選挙の勝因は。
松川市長が掲げた公約を引き継いで、普天間飛行場の早期返還を確実に私の手で行うと訴えたことが市民に評価されたのではないか。
――返還に向けた具体的なプロセスは。
返還期日を明確化し、その間の負担軽減と危険性除去を、あらゆる方策を講じて、政府としっかりと交渉していきたい。
――まちづくりに向けた決意は。
基本的には松川市政を継承する。西普天間住宅地区(米軍施設返還跡地)や普天間門前町、真栄原の再開発や西海岸の開発など、職員と一丸となって進めていく。
――普天間返還に向けた県との調整は。
できるだけ早期に玉城知事と面会し、普天間の代替施設に関する考え方などを確認していきたい。