Home国内16年目の終幕 惜しむ声 最後の沖縄国際映画祭

16年目の終幕 惜しむ声 最後の沖縄国際映画祭

主催者の大崎・吉本興業前会長 良いバトンタッチできれば

16年間映画祭を主催してきた大崎洋氏(右端)=4月21日、那覇市の国際通り

今年が最後となる「島ぜんぶでおーきな祭第16回沖縄国際映画祭」が20、21の両日、那覇市の那覇文化芸術劇場なはーとをメイン会場に県内各所で開催された。県内外・国外から31作品の映画が上映され、各種関連イベントも行われた。訪れた人々からは感動の声や最後の開催を惜しむ声が上がった。16年間主催者として運営を担ってきた大崎洋・吉本興業前会長は、沖縄の人々に「この映画祭を引き継いで、良いバトンタッチができれば」と語った。
(沖縄支局・川瀬裕也、写真も)

別のかたちで次のステージへ 知念那覇市長

映画祭は2009年に始まり、「笑いと平和」をテーマに映画やお笑いを中心とした総合エンターテインメントとして親しまれてきた。当初は北谷町を主会場にしてスタートしたが、宜野湾市の沖縄コンベンションセンターに移るなど試行錯誤を重ね、近年では那覇市を中心に県内各所がサテライト会場となり、全県的なイベントへと発展し、県民にも広く認識されるようになっていた。

しかし今年3月、第1回から実行委員会で中心的役割を担ってきた吉本興業が今回を最後に運営からの撤退を表明。これにより来年以降の開催は実質困難になる見通しだ。過去には最大で42万人の来場者を誇ったが、経営状況は厳しく、赤字が続いていたという。

レッドカーペットでは四つ竹が披露された=4月21日、那覇市の国際通り

20日に北中城村の会場で行われたオープニングイベントでは、沖縄出身のお笑い芸人・ガレッジセールらが16年の歴史を振り返り、「(全盛期と)比べたら、(規模が)縮小しましたね」と自虐し、笑いを誘った。

映画祭の精神は地域を笑顔で盛り上げ、それを全国、アジア、世界に広げることで、「持続可能な開発目標(SDGs)」の啓蒙(けいもう)や「『笑顔』につなげる活動を通じて、より良い国際社会の実現に貢献・応援する」というコンセプトのもと行われてきた。かつて大崎氏は、「ずっと赤字だったが、映画祭の実行委員は死ぬまでやる」と語っていたが、今回で従来の開催方式には区切りが付いたかたちだ。

沖縄映画祭に参加した俳優の剛力彩芽さん(右から3人目)ら=4月21日、那覇市の国際通り

大崎氏は21日のエンディングイベントで「吉本の社長に就任して真っ先に決めたのが沖縄国際映画祭だった」と振り返り、「今年が最後かと思うと少し寂しい」と感想を述べ、「来年に向けてもう一度決意を新たにして、沖縄の方々が、自らこの映画祭を引き継いで、良いバトンタッチができれば」と、別のかたちでの映画祭の継続を呼び掛けた。

今回の映画祭では、プレイベントとして、昨年老朽化に伴い解体された県内最古の映画館「首里劇場」を舞台にした作品の上映会が行われたほか、お笑いライブステージや、沖縄の社会問題を解決するビジネスアイデアのコンテスト、ダンス、スポーツの関連イベントなどが開催された。

中でも、メインイベントのレッドカーペットには、最高気温29度の強い日差しが照り付ける中、那覇市の国際通りに約1万5000人の人々が押し寄せた。沖縄の伝統舞踊「四つ竹踊り」が披露され、浅野忠信さんや剛力彩芽さんなどの人気俳優や、落語家の桂文枝さん、タレントの西川きよしさん、沖縄出身のお笑い芸人・スリムクラブなどが登場すると観衆からは歓声が上がり、記念写真やサインを求める人々で大盛り上がりとなった。

レッドカーペット後の閉幕式で那覇市の知念覚市長は、「沖縄から新たなコンテンツを発信するという意味において、大変意義があった」とこれまでの映画祭を評価し、「培ってきた経験は別のかたちで次の新たなステージへつながっていく」とあいさつした。

ほぼ毎年欠かさず映画祭に訪れていたという那覇市在住の50代男性は、「たくさんの思い出が詰まっているので、最後になってしまうのは残念です」と惜しんだ。映像制作関係の仕事をしているという浦添市の30代女性は「映画の魅力を発信できる新たなイベントが沖縄で生まれることを期待したい」と願いを語った。

最終日のフィナーレでは、沖縄出身のバンドグループ「かりゆし58」などがライブパフォーマンスを披露し、映画祭は多くの県民に惜しまれながら、16年の歴史に幕を下ろした。

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