太平洋戦争中、那覇市を中心に甚大な被害を受けた10・10空襲(1944年10月10日)にちなみ、那覇市の沖縄県護国神社で「激戦の沖縄戦を再考する」と題した講演会が9日開かれ、空の神兵顕彰会・会長の奥本康大氏らが登壇し、戦前と戦後の沖縄を振り返った。
(沖縄支局・川瀬裕也、写真も)
英霊の功績を顕彰し伝承を 奥本氏
「敬神崇祖」の精神は日本一 大山氏
沖縄守る強い決意を中国に 西田氏
同講演会は空襲のあった10月10日前後に毎年行われており、今年で6回目の開催となる。
最初に登壇した奥本氏は、「沖縄を守るために戦った日本軍将兵たち」と題し講演した。奥本氏は、沖縄戦に至る経緯を振り返りつつ、県内での学徒動員について「全員徴兵されたように思われているが、学生たちが自ら志願し『鉄血勤皇隊』として戦った」と解説。ひめゆり・白梅学徒隊なども含め、「沖縄を守るために雄々しく参戦した若者がいたことを忘れてはいけない」と強調した。
その上で、鉄血勤皇隊や、ひめゆり・白梅学徒隊などについて、「かわいそうに、と慰霊するだけではなく、彼らの活躍を顕彰し、後世に残さなければならない」と主張。功績が人々に忘れられてしまうことは「二度目の死」を意味するとして、「英霊を二度死なせてはならない」と訴えた。
続けて波上宮(那覇市)の大山晋吾禰宜が登壇し、日本神道の本質とされる「敬神崇祖」の精神が一番根強く残っているのが沖縄県民だと持論を述べた。その理由として「清明(シーミー)祭に門中(親族)が集まって、先祖を供養する風習が残っている」ことなどを挙げ、「大きなお墓を見ても先祖崇拝の強さが分かる」と強調した。
大山氏は、県内の一部で「沖縄は日本ではない」と主張する人々がいる点に触れ、「沖縄の歴史を掘れば掘るほど『日本』なるものが出てくる」とし、「沖縄は日本以外の何物でもないどころか、精神性は日本を支える中心だ」と語った。
皇室崇敬会会長で元沖縄県議会議長の西田健次郎氏は、戦後から米軍統治時代を経て本土復帰を果たすまでの沖縄の道のりを解説。過去から現在に至るまで、沖縄が軍事・政治的最前線に立たされていることについて、「沖縄は地政学的にそのような運命があることを覚悟して臨まなければならない」と訴えた。
西田氏はまた、「中国共産党が国際法を無視し台湾や沖縄を攻めてくることがないように、われわれは強い決意を中国に突き付けていかなければならない」とし、「日本政府もそれをバックアップしてもらいたい」と注文した。
参加者は、沖縄が激戦地になった理由や、現在、米中対立の最前線となっている沖縄の現状を正しく理解できたと話していた。