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集団的自衛権論議 石破幹事長の腕の見せ所


 永田町では敵は反対党だけではない。毎日寝食を共にしている自党の隣人が実は最大最強のライバルだったとの例は決して稀ではない。

 政治家の多くは考え方が違う。政策も異なる。主張もてんでんばらばらだ。同じ党の同志といえどもアテにはならない。いつでも足を引っ張られる可能性がある。昨日の味方は今日の敵どころではない。朝肩を叩き合って意気投合していた同志が夕べには仇敵になって睨み合っている。こんな例は挙げるに暇がない。

 永田町では真の友人は常に不在だ。そう思って間違いない。与党と野党の仲の悪いことはいうまでもないが、同じ党の仲良しがいつ牙をむいて襲い掛かってくるか見当もつかない。安心していると寝首を掻かれる。

 したがって永田町では真の友人関係は成立しないことになっている。ひとりやふたりではない。みんなそう思っている。その意味では永田町ほど怖ろしい社会はない。与党と野党にはっきり分かれて、互いに相交わるアテのない議論を戦わしている方が遥かにいい。

 与党と野党がケンカするのを不思議に思う必要はない。与党も野党もケンカするために存在しているのだ。永田町といえども同じ日本人の集まりだ。いや、最も日本人らしいのが揃っている。話をすればするほど仲良くなる。どっちが敵だか味方だか分からなくなる。だがこれでは困る。敵味方が識別できなければ政治は永久に足踏みを繰り返さなければならない。こんな政治の在り方では国民から愛想を尽かされること必定だ。

 だから、与野党は互いに相手が受け入れないことを百も承知で、相手が反対するに決まっている異説を立て、丁々発止と渡り合っているのだ。馴れ合いといえば馴れ合い、八百長といえば八百長に違いない。

 しかし時にこの八百長が本物と化し、双方腕ずくのケンカに発展することがある。だがこれは行き過ぎだ。日本の民主政治の自殺行為に外ならない。国会は言論の府だ。

 いよいよ今日から自民党は総裁直属機関で集団的自衛権行使容認を巡って議論を始める。容認でまとまっていたはずの党内の議論の行き先が定かでない。取りまとめ役の石破茂幹事長の腕の見せ所だ。友党公明党、野党とも侃々諤々の議論を覚悟しなければならない。腕まくりまではいい。腕力沙汰はゴメンだ。それが分かっていれば大いにやるべし。

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