家庭破壊から国家社会の解体へ


世日クラブ講演要旨

~同性婚訴訟の意味するもの~

LGBT問題 正しい認識を

麗澤大学教授 八木 秀次氏

 八木氏は同性婚訴訟やLGBT(性的少数者)理解増進法案などの問題点について解説し、「社会・国家の基礎的単位である家庭が壊れれば、家族の在り方も相対化されてしまう。多様性という名の下に人間の秩序感が混乱すれば、国家の衰退・崩壊にまでつながってしまうだろう」と懸念を示した。以下は講演要旨。

同性愛の多くは治癒可能
イデオロギー色強い理解増進法案

 札幌地裁で今年3月17日、同性婚訴訟の初となる裁判所としての判断が出された。問題になっているのは、民法とその戸籍法に婚姻の規定があり、異性間でなければ婚姻できない旨の規定になっていることだ。争点として、この民法や戸籍法の規定が憲法違反であるのか、そして国家賠償法に違反するのかが問われていた。

麗澤大学教授 八木 秀次氏

 やぎ・ひでつぐ 昭和37(1962)年、広島県生まれ。早稲田大学法学部卒業。同大学院政治学研究科博士後期課程研究指導認定退学。専攻は憲法学。高崎経済大学教授、慶應義塾大学講師などを経て現在、麗澤大学国際学部教授。第二回正論新風賞受賞。内閣官房・教育再生実行会議有識者委員(現職)。

 判決では、異性愛者は婚姻制度を利用できるのに、同性愛者には「婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しない」ことは差別であり、憲法違反であると断じていた。

 しかし、判決で憲法違反という判断を下しているにもかかわらず、国家賠償法については退けている。そのため、判決全体としては、原告が国を訴え、国が勝ったという裁判だ。しかし、原告側の憲法違反という主張の一部を、裁判所が認めるという奇妙な判決となっている。

 私は当初、この判決は原告が負けて国が勝っているから、国側はこの判決に不服でも控訴できないため、確定判決になるのではと思っていた。しかし、原告側が控訴したために、判決は札幌高裁で再度検討し直すことになった。

 この判決を検討してみると、まず同性愛についての認識が不十分だ。同性愛の原因を札幌地裁の判決では、ほとんど生まれつきか、生まれてすぐに性的指向が決まると主張。そしてそれは、自分の意思で変えることはできない人種や性別のようなものとしている。

 日本ではほとんど紹介されないが、特に英語圏では研究が進んでいて、同性愛は先天的ではないという見解が有力とされてきている。

 同性愛の遺伝について調べたある研究では、一卵性の双子が両方とも同性愛者である比率は10%前後だった。つまり、約9割の双子は片方が同性愛者でも、もう一人は異性愛者ということだ。もし同性愛が遺伝するものなら、一卵性双生児は性的指向が一致しなければならない。

 同性愛が遺伝的・先天性でないとしたら、原因は何なのか。実は環境要因説が有力とされている。同性愛者は異性愛者よりも、幼い時に性的または身体的な虐待を受けた事例が1・6~4倍程度大きい。幼児期の虐待と同性愛者には、相関関係が明らかに存在しているという研究結果もある。

 例えば、父母の無関心や過度の愛着、友達からのいじめ、性暴力の経験、同性愛を美化する映画やテレビ番組、社会風土、性格などの要因が、同性愛の性向を形成するということだ。

 だが、米国の精神科医ロバート・スピッツァー氏は2011年、同性愛の傾向を抱えていたとしても、「異性愛者としての機能を十分回復できる」という見解を出している。実はスピッツァー氏は1973年、米国の精神疾患のリストから同性愛を削除する決定をした人物だった。研究の結果、自らの見解を改めたことになる。

 しかも、LGBTの「T」を表す性同一性障害もまた、先天的なものではないという研究もある。ニュージーランドの遺伝学者であるN・E・ホワイトヘッド氏によると、70人の性同一性障害者の調査で、本人には何ら身体的異常は見つからなかった。しかし、母親の80%、父親の45%がさまざまな精神病を患っていた。生理的原因説は根拠が乏しく、心理的原因の可能性が高いというわけだ。

 おそらく5歳以下の幼児期に苦痛な経験をし、その心の痛みを麻痺させる防衛反応として、逆の性に逃げ込んでいるという仮説をホワイトヘッド氏は立てている。また、性同一性障害であっても、変わりたいと考える人のほぼ80%は、性同一性障害を治すことができるというデータもある。

 続いて、札幌地裁の判決が婚姻をどう理解しているか見てみると、「婚姻の本質は、両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をもって共同生活を営むことにあると解される」としている。

 これは間違いではないが、極めて一面的な見方だ。婚姻の本質を考えるとき、子供を産み育てるという世代間継承という見方が欠落すれば、それは婚姻とは言えないだろう。

 しかし、国側に同性愛についての正しい科学的知識がなければ、原告側が大量に提出した証拠資料がそのまま認定事実となってしまう。一方、裁判所が資料を集めるということはないため、原告側の資料の多さに圧倒され、見解が傾いたとみることができるかもしれない。今後、国側の主張をいかに援助していくかが課題となる。

 次に自民党で持ち上がり、成立が見送られたLGBT理解増進法案の問題について取り上げておきたい。この法案には、全ての性的指向を完全に平等なものとして取り扱わなければ差別になる、という趣旨が埋め込まれている。

 すなわち、すべての性的指向と性自認を平等にするという視点で、すべての制度や慣行がチェックされる。そして、平等に扱っていないと判断されれば修正を求めてくるという、とても革命的でイデオロギー色の強い内容ということだ。

 確かにLGBTの人は存在しており、その人権を尊重し、配慮することも必要だ。しかし、社会の中ではコンセンサス(意見の一致)が取れていないという状況にあると言える。例えば、東京オリンピックに出場する女子重量挙げの選手の中に、トランスジェンダー女性がいる。もともと男なので体格も良く、ライバルとなる一部選手からは身体的に有利で、競技が公平でなくなるという指摘が出ている。

 私はLGBT問題を、現代の家庭が深刻な病理に陥っていることを示すものだと考えている。生まれつきの人たちはほぼおらず、その原因が家庭環境による影響であることが多いのであれば、そういう人たちに対する配慮は必要だ。しかし、本人が望めば多くの場合、治癒することもできるという見解も、同時に一般化しなければならないのではと思う。

 LGBTに関する主張がタブー視される中、一部の人たちの主張がそのまま通り、反対意見には差別主義のレッテルを貼って封じる、ということにならないようすべきだ。

 LGBTの人たちとの共存の道を考えたとき、LGBT理解増進法案などのような内容では、むしろ多くの人たちは心の中で反発し、恐れ、怯(ひる)み、不自由を強いられてしまう。そのようなことを果たして、LGBTの人たちは本当に望んでいるのだろうか。

 その辺りを含め、もう一度この問題を正しく整理し、正しく認識することが必要だ。