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元広島監督、古葉竹識さんが85歳で死去


求心力と情の「古葉野球」、選手もファンも大切にした名将

元広島監督、古葉竹識さんが85歳で死去

初の日本一の優勝トロフィーを掲げて喜ぶ広島・古葉竹識監督=大阪(1979年11月04日)

元広島監督、古葉竹識さんが85歳で死去

古葉竹識さん

元広島監督、古葉竹識さんが85歳で死去

4年ぶり3度目の日本一に輝き、チャンピオンフラッグを手にグラウンドを一周する広島の古葉竹識監督(手前左)ら。同右は衣笠祥雄選手=1984年10月22日、広島市民球場

元広島監督、古葉竹識さんが85歳で死去

東京新大学野球春季リーグ戦で東京国際大を初優勝に導き、選手に胴上げされる古葉竹識監督=2011年5月31日、さいたま市岩槻川通公園野球場

 勝利にこだわる一方、グラウンドを離れれば選手やファンを思いやる―。12日死去した古葉竹識さんは、勝負師であり人情家の名将だった。

 1975年の開幕直後。ルーツ監督の退団で突然、監督就任要請を受けたが、驚きや戸惑いはなかった。「引き受けたからには自分のやりたいようにやる。それで駄目なら責任を取る」。覚悟を決めた青年指揮官に率いられ、広島は悲願のリーグ初優勝。「弱小球団」の汚名を返上してみせた。

 のちに古葉さんが「カープ史上最強」と振り返ったのは山本浩二、衣笠祥雄、高橋慶彦、江夏豊、池谷公二郎、北別府学ら79、80年連覇のナイン。ずらりとそろった個性派が、古葉さんの求心力によって勝利へ向かって突き進んだ。

 2008年12月。広島市民球場の最後を飾る歴代OBのイベントでファンが差し出す色紙にペンを走らせ、「本当にうれしかった。1時間半かけてサインをしたよ」と感慨に浸った。

 その年、古葉さんは東京国際大の監督に就任している。大洋(現DeNA)の3年も合わせてプロで14年間指揮を執り、古希も過ぎて新たな道を選んだのは、「プロを目指す選手の手助けができれば」と願ったからだ。

 自らは専大を中退して社会人の日鉄二瀬に入ったが、「家庭の事情もあって、何としてもプロ野球選手になりたかった」。先輩たちの縁を得て広島に入団でき、今日がある。だから、熱意のある学生を後押ししたかった。

 東京国際大が所属する東京新大学リーグに東京六大学や東都大学のような華やかさはない。古葉さんは球場に足を運んでくれた人たちに「また見に来てください」と言って、握手を繰り返した。

 11年春、リーグ戦初優勝を果たした。「六大学や東都を倒して大学球界でも頂点を極めたい」と勝利を追求しつつ、「常に礼儀正しく、社会に出ても周囲から喜ばれる人に」と願った古葉さん。その思いは多くの教え子に受け継がれていく。