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負の「置き土産」、全て除去に今もなお100年


沖縄戦の不発弾1900トン余、探査技術進化で加速に期待

 

負の「置き土産」、全て除去に今もなお100年

不発弾探査を手掛ける「沖縄計測」(沖縄県沖縄市)の砂川雅博さん(左から2人目)ら=17日、同市(時事)

 太平洋戦争末期の沖縄戦で国内最大の地上戦が繰り広げられた沖縄県では不発弾の発見が珍しくない。県によると、「鉄の暴風」と呼ばれた激しい艦砲射撃などで使用された弾薬約20万トンのうち、不発弾とみられるのは5%の約1万トン。あれから76年となる今も1900トン余が残るとされ、全て除去するには70~100年かかるとも言われる。

 米軍や自衛隊の不発弾処理に加え、民間の探査事業が始まったのは1974年。那覇市内で園児を含む38人が死傷した爆発事故がきっかけだ。

 だが、激戦地だった同市などでは、今も住人の足元に多量の弾が埋まっているとみられている。住宅建設などでの事前探査義務はなく、2012年、国と県による探査費用の補助制度ができたものの、工期の遅れを忌避する施工業者は探査を避けることも多い。

 地中の不発弾と鉄筋や水道管などを見分ける技術は進歩している。磁気探査を手掛け、45年間で数千発を発見してきた「沖縄計測」(沖縄市)の技師らは20年、装置のデジタル化に成功。装置が紙に書き出す磁気の波形から「経験と勘」で見極める弾の位置の特定精度を格段に向上させた。今後は波形解析のAI化を目指すという。

 同社のベテラン技師、砂川雅博さん(65)の脳裏には、87年の探査現場が焼き付いている。掘り起こした不発弾の傍らで出土した日本兵の頭蓋骨には、爆発した砲弾の破片が突き刺さったままだったという。

 「平和になった今、犠牲者を出してはいけない」。以来、探査に執念を燃やしてきた砂川さんは「いつかなくなるべき仕事。沖縄は基地が集約されただけでなく、不発弾が置き土産のように残された。(政府には)慰霊だけでなく、処理する責任がある」と語気を強めた。