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憲法制定70年、議論深め自らの手で改正を


 今年は戦後70年の節目の次の年だが、昨年に劣らぬ重要な年だ。戦後のわが国のかたちを決定した憲法が制定されて70年目を迎える中、今夏の参院選の結果次第では、現行憲法の下で初めて憲法改正を発議できる政治環境が生まれるからだ。

徹頭徹尾GHQ主導で

 現行憲法はわが国がポツダム宣言を受諾して昭和20(1945)年8月に敗戦し、7カ月後の21年3月に草案ができた。それから7カ月後の同年10月、衆議院、貴族院を通過した修正案が成立し、枢密院の可決を経て同年11月3日に公布された(施行は翌22年5月3日)。

 敗戦直後の大混乱期に憲法改正という大きな課題が実に粛々と進められたのには理由がある。日本が当時、連合国軍の占領下にあり、現行憲法が占領政策の大きな柱として徹頭徹尾、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の主導で作られたからだ。

 第一に、昭和20年10月、連合国軍最高司令官マッカーサーの意思表示を受けて、日本政府は「帝国憲法改正」の検討に着手した。

 第二に、昭和21年2月、日本政府が準備した憲法改正要綱私案はGHQによって一蹴され、マッカーサーの指示でGHQが急遽作成した草案を全面的に受け入れて、政府の憲法改正草案が確定(同年3月)した。

 第三に、帝国議会の審議過程で、衆議院では9条に関するいわゆる芦田修正、貴族院では文民規定(66条)など4項目の修正が加えられたが、その全てはGHQが承認したものだった。

 敗戦から昭和27年4月にサンフランシスコ講和条約が発効するまで、日本は独立主権国家ではなかった。従って、国家の最大の使命である「国防」を放棄したような憲法を制定しても実害はなかった。また、独立回復後も東西冷戦構造の中で国防を米国に大きく依存できる状況が続いていたのは事実だ。

 しかし、冷戦直後の湾岸戦争以降、その限界は明らかになっており、中国の軍事膨張主義や北朝鮮の核開発など東アジアの安保情勢も急変している。さらに、制定後70年の間に社会の構造も生活環境も大きく変化し、現行憲法で対応できない分野が多く生まれている。

 今こそ自分たちの手で憲法を時代に合ったものに変えていくことに真剣に取り組むべきだ。政府・与党がその第一義的な責任を負うのは当然だが、特に自民党は昭和30年、様々な政策の違いを乗り越えて、自由党と民主党が占領下でできた憲法を改正するため「小異を捨てて大同につく」ということで生まれた政党だ。その立党の精神を発揮する機会を逃してはならない。

民主も正面から取り組め

 野党第1党の民主党にも大きな責任がある。「大異を横に置いて大同に(つく)」などと訴えて政権入りを目指す共産党に乗って、基本政策も曖昧(あいまい)な「野党統一候補」を大量に輩出するようでは政権への返り咲きは永遠に望めなくなるだろう。

 2大政党の一方を担う自覚があるならば憲法や安全保障などの基本政策を整備して、正面から国民を巻き込んだ改憲論議を主導するような気概を持ってほしい。

(1月4日付社説)