世界日報 Web版

アフガン撤退25年、プーチン政権は教訓汲み取れ


 今年2月15日は、ソ連がアフガニスタンからの軍兵士の撤退を完了してちょうど25周年に当たった。

 ソ連軍とムジャヒディン(アフガン反政府ゲリラ)との戦争は約10年間も続いた。

再評価求める意見強まる

 アフガンでは1973年、国王がクーデターで追放され、78年に左翼政権が誕生した。しかし政情は不安定で、ブレジネフ政権のソ連は友好善隣協力条約に基づく要請をアフガン側から受けたとして79年12月27日に侵攻した。

 だが、ソ連はずるずると泥沼に引き込まれ、米国が陥ったベトナム戦争の泥沼化と対比された。侵攻は70年代の「デタント(緊張緩和)」を一気に吹き飛ばし、米ソ冷戦は一段と激しさを増した。

 ソ連政権は当初、早期決着を予想していた。しかし、アフガンの隣国パキスタンやサウジアラビア、中国などのムジャヒディンへの武器援助に加え、山岳地帯に出動した対ゲリラ用ソ連軍戦闘ヘリコプターMi-24を的確に撃墜するスティンガー・ミサイルを米国がムジャヒディンに供与して以来、ソ連軍は大きな打撃を受けた。

 ソ連は送り込んだ延べ62万人の兵力のうち1万5000人もの戦死者、7万5000人の負傷者を出した。アフガン国民も約100万人が死亡した。膨大な戦費によって経済が次第に疲弊し、ソ連国内には厭戦の空気が次第に広がっていった。

 85年4月に成立したゴルバチョフ政権は、画期的な改革「ぺレストロイカ(再編)」と新思考外交を成功させるためにアフガンからの撤兵を模索し、最終的に決断するに至った。

 86年7月にゴルバチョフ書記長はウラジオストク演説でアフガンからの8000人の兵力の撤退を表明。さらに88年4月に国連の調停による米国、ソ連、アフガン、パキスタン4カ国ジュネーブ和平協定によって和平が成立、同年5月15日からのソ連軍の撤退が決まった。結局、ソ連はアフガン・ゲリラに敗北したのであった。

 ソ連の末期、アフガン侵攻は「失敗」であったと総括された。ゴルバチョフ政権下の89年12月のソ連人民代議員大会で「侵攻は政治的にも道義的にも非難に値する」と決議。現在、ロシアの義務教育歴史教科書でも「侵攻はソ連指導部の外交上の最大の失敗」と記述されている。

 ロシアの南部、黒海沿岸の保養地ソチで今、ロシアで初の冬季五輪が開催されているが、米ソ冷戦時代の34年前のモスクワ夏季五輪(80年)とは様変わりである。

 モスクワ五輪は「片肺五輪」と言われた。前年末のアフガン侵攻に抗議した米国や日本など多くの西側諸国がボイコットしたからだ。

「平和の祭典」汚したソ連

 最近、ロシアではアフガン侵攻の再評価を求める意見が強まっているという。背景には、プーチン政権が進めるソ連史の肯定的な見直しがあるようだ。

 しかし、かつて「平和の祭典」を汚し、双方に甚大な被害が生じたアフガン侵攻の教訓を、プーチン政権は汲(く)み取らなければならない。

(2月23日付社説)